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卒業試験

第160回 大森 琢憲(2018.06.05)

1.はじめに

皆さんこんにちは。本コラムも第160回目となりまして、過去のコラムでも様々な職人たちが個性的なコラムを執筆してきましたが、自分も今回で4回目ということで自分の製作修行の思い出話をひとつ書いてみようかと思いますので、お暇な方は今回もどうぞお付き合いください。

 

2.青虫とアゲハ蝶

このコラムをお読みの皆さんの多くは楽器を演奏されることと思います、そして”楽器職人”という名称になにか芸術的な響きを感じているかもしれません。しかしその芸術的なイメージと楽器製作の実際は大きく異なっています。

楽器を製作している時間に僕が手にするものと言えばノコギリ・鑿・鉋・金定規・直角定規と大工道具一式に鍋で煮込んだ膠液が少々-、そして日に日に溜まっていく木屑の袋。もし楽器を知らない人が見たら「変わった形の木箱を作る仕事なんですよ。」という説明でも十分に信じてもらえそうな光景が100時間以上・延べ1か月にわたりずっと展開され続けます。
そして何より重要なことに、製作途中の楽器は当然弦を張れないため、この期間は1音たりとも音は出ないのです。
こんな状態で「楽器職人」を名乗るのはいささか気が引けるのもあり、自分は常に「楽器製作者です」と説明することにしています。

お客さんがイメージしている楽器職人というものが音量を調整したり、音質を改善したりという空を飛ぶ蝶のような存在だとすれば、差し詰め実際のところは枝にしがみついて葉っぱを齧る青虫的存在といったところですが、今回お話しするのはその青虫時代最後のお話になります。

写真1「ネックを彫るための鑿セット」写真1「ネックを彫るための鑿セット」

写真2「ドイツ製の膠」写真2「ドイツ製の膠」

 

3.150時間1本勝負

自分の修行時代の思い出で強く印象に残っているキーワードに”150時間”という言葉があります。
これは僕が楽器製作の師匠である岩井孝夫さんの工房に通って3年目に渡された卒業試験の紙に記された課題でした。
『1日6時間(正午から午後6時まで)・25日間の作業期間でバイオリン1本を製作し、演奏できる状態にセッティングすること』
これはニスを含まない白木状態での完成で、25日目の終わりに楽器が演奏できる状態になっていなければその時点で不合格。
製作の流派や知識とは関係なく「楽器を完成させること」が条件というびっくりするほどシンプルな試験ですが、ある意味でこれが楽器職人になる”前提条件”として、まず木工職人としての腕を問う課題になっているのです。

写真3「木工の日々」写真3「木工の日々」

 

4.気付くことの大切さ

ところで上記の150時間という課題を読まれて楽器に詳しい読者の方は「むむっ!」と思われたかもしれません。
バイオリンには22か所の接着箇所があります。これらは現代でも全てアマーティやストラディヴァリがしていたのと同じように膠付けによって接着するため接着作業ごとに6~12時間ほどの待ち時間が発生します。どんなに急いでいても瞬間接着剤でというわけにはいかないのでこれを作業時間内に真面目に1か所ずつ接着していたら150時間で楽器は完成しません。

しかし、条件をよく見ると「正午から午後6時まで」というのは作業時間であって、それ以外の時間を接着の待ち時間に使うのは可能です。つまり作業手順を考え一日の作業の終わりに接着作業をすれば、次の日の昼には待ち時間なしで作業を再開できます。
単純な話ではありますが、課題には書かれていないこの仕組み、段取りの重要性に気づくことがこの試験で一番重要なポイントでここを理解したあとは案外スムーズに作業を進めることができました。

 

5.得た物に形無し

150時間・25日間の作業を無事に終えて最終日に魂柱を立て、駒とペグを削って弦を張った時の感覚は本当に不思議なもので「もう終わってしまったのか。」というくらいにあっけないものでした。完成した楽器を岩井さんがしばらく眺めて「よし、じゃこれをモラッシに見せてくるから。」と言って持って行ってしまったのもそれに拍車をかけていたように思います。
ふた月ほど後、岩井さんの工房で開かれたささやかな卒業式の席でモラッシさんの署名が入った免状を渡された時にも、思わず僕は楽器職人になれたんでしょうか?と岩井さんに聞いてしまうほど実感のない瞬間でした。

その時に笑いながら「君はもう楽器が作れるんだから、次からは自分が作りたい物を作ればいい。自信を持って。」と言われたのもわかったような、わからないような話としか思えませんでした。

写真4「弦を張って初めて木の箱は楽器に変わる」写真4「弦を張って初めて木の箱は楽器に変わる」

 

6.楽器を作ろう!

しかし卒業後の数年、家庭の事情で開店休業状態になっていた僕が本格的に楽器製作を再開しようと決めた時、本当に役に立ったのは楽器の資料でも演奏の経験でもなく、この段取りをつけて楽器を作るという基礎基本の動作でした。

師匠である岩井さんが教えてくれた、”150時間で楽器を完成させる段取り”のおかげで開店休業状態でも本協会の中之島展示会には途切れなく出展できていました、そして師匠の師匠、つまり大師匠のモラッシさんが書いてくれた免状を展示会の出展歴とともにイタリアの協会に提出したことで無事にイタリアのコンクールにも参加することができました。

結果発表に合わせて現地に行った折、どうしてもお礼を言わなければとモラッシさんの工房を訪ねたのも今では良い思い出です。
最初は工房を見学に来た単なる外国人ということで「悪いけど30分後に友達に会いに行く約束が有るから今は話はできないよ」と言われ、
こちらも手短に以前免状に署名してもらった事と、そのお礼に特注の丸鑿を持ってきたことなどを伝えると僕の肩を抱くように叩いて「あぁ!タカオの弟子か!タカオは元気にしてるか」「今年はトリエンナーレなのにタカオは何でクレモナに帰ってこないんだ?」と矢継ぎ早に聞かれたので「岩井さんはカヌーに凝っていて工房にもカヌーで来るくらいなので、イタリアまではまだ時間がかかります。」と言うと吹き出して大いに受けていました。(冗談ではなく、真面目にそう言ってしまったのですが…)

 

7.職人の系譜に伝わる物

「岩井さんの近況」で気に入ってもらえたのか、工房の2階の作業場を案内してもらったり、肩を組んで記念写真を撮ろうと誘ってくれたり、約束の方は大丈夫なのだろうかとこちらが不安になるくらいに機嫌良く応対してくれたあのモラッシさんも、すでにご存じの方も多いと
思いますが今年の2月末に亡くなられ、自分がお会いしたのはその時が最後となりました。

クレモナの2大師匠としても有名だったモラッシさんの弟子は今や膨大で、その孫弟子ともなればそれはもう掃いて寄せるほど居ることでしょう。
僕もその中の有象無象の一人であることに間違いないですが、特注の丸鑿をプレゼントした時「よし、じゃ君がくれたこれでチェロを作るよ!」
と上機嫌で言っていたモラッシさんは老いたりといえども楽器製作者でいることが楽しくて仕方ないように見えました。

直接の指導を受けていない僕が、岩井さんの師匠であるモラッシさんから何か学ぶ事ができたか、と問われたらそれはきっとあの姿だと思います。
そして岩井さんから言われた「自分が作りたい物を作ればいい。」というのも、案外モラッシさんから教わった職人の系譜なのではないかと
今なら少し納得できている自分がいるのでした。

写真5「…ところで待ち合わせは?」「あっ!じゃもう行かないと!」(写真直後の会話)写真5「…ところで待ち合わせは?」「あっ!じゃもう行かないと!」(写真直後の会話)

 

8.おわりに

自分の思い出(しかも割と最近の)を自分で書くというのは若干面映ゆいこともありますが、実は過去の3回の自分のコラムを見て「割と他人事のような話を書いてるなぁ」と思うところがあったので今回は意識して自分の事を書かせていただきました。
本協会ができた最初の年、確か会員は20名強だったと思いますが今では会員数で50名ほどになろうとしています。
本コラムを読んでいただいた読者の方が展示される楽器だけでなく、本協会の展示会に出展する作者全員がそれぞれ異なる経験やストーリーをもって楽器を製作している事情に興味を持っていただけるならば、これほどうれしいことはありません。

ぜひ来年も、新作の楽器を展示して皆様とお会いできることを楽しみにしつつ今回のコラムの結びとしたいと思います。
ありがとうございました。