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クレモナの季節の記憶

第145回 池渕 考介(2017.10.5)

夏の記憶
今年は夏がなかった。と今夏口にした人は多いだろう。確かに雨が多く、酷暑、猛暑といった言葉が無縁だった今年の夏は何か物足りない感じさえあった。しかし、昨年冬にクレモナから日本に戻ってきた私にとっては別の意味でも夏がなかったと感じている。

私が最初にクレモナを訪れたのは6年前の初夏であった。初めてのイタリア、マルペンサ空港に着いたのは午後6時くらいであった。
そこからバスでミラノ中央駅を目指すのであるが、腕時計の針がいくら進んでも日が落ちないのである。夜9時くらいにクレモナへ向かう電車の中で薄暮の遠くの空に雷が走っていたのが未だに記憶に残っている。
その後、5回のクレモナの夏を過ごした私が日本の夏を心寂しく感じてしまうのは、日没時間が大幅に早いからだ。
クレモナならば工房の作業が終わってもまだ明るく、明るい空の下で仲間とビールを飲むのだが、それがたまらなく良いものであったのだと今となって痛感するのである。
夜10時を過ぎても明るい、イタリアの夏の時間はとても特別な時間だったのであった。

 

冬の記憶
夏の楽しい思い出と比べればクレモナの冬は、私の中ではまさに地獄であった。特に1年目の冬、私はクレモナのとあるマエストロの経営しているアパートに入居していた。そこは彼の工房の目の前の1階の部屋で、その下には彼の楽器の材料などを保管している地下室があった。ここまで聞くとクレモナに住んでいた方にはもう察しがつくであろう。
1月、2月の冬本番の季節は、石造りが普通のイタリアの家は大概寒い。暖房をフルにつけていても寒い。特に部屋が地面に近づくほど寒い。つまり、とてつもなく寒いのだ。特に私のような貧乏学生は暖房費を削らなくてはならないので余計寒くなるのだ。次の年の春、私はやはりもっと暖かいアパートにそそくさと逃げおおせたのは今となってはいい思い出である。

 

春の記憶
クレモナの春は花粉の季節である。私はよくクレモナのアパートから駅向こうの大型商業施設が入ったCOOPまで自転車で行くのであるが、その道のりにポプラの木が街路樹として植えてある。春になるとその木が大量の花粉を撒き散らす。それもスギ花粉のように目に見えないものではない。とてつもなくデカいのだ。
道脇に綿毛とも言える花粉がそれもそこらじゅうに積もっているのだから鼻炎持ちの私にとってはたまったものではない。その地獄の道のりは今でも目を閉じればいつでも記憶に呼び戻せるほどであった。このポプラが消え始めると朝、牛のゲップの臭いで目が覚めるクレモナの初夏が始まるのである。
もし300年前にストラディバリウスも花粉症で、同様の経験をしていたのならば面白いものだ。

 

秋の記憶
クレモナには秋はあったのかなかったのか、5年過ごした今でもはっきりとは私はわからない。トローネと言うクレモナ伝統のお菓子祭りの時期が大体秋なんだろうと思うのだが、その時には私の服装はすでに完全防寒装備のニット帽、マフラー、手袋だったので私の中では冬だと思う。クレモナの秋を知っている方がいれば是非とも教えていただきたいものである。