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バイオリンと哲学

第88回 岡野 壮人(2015.02.05)

皆様、お弦氣さまです。
はじめましてということもありますので、簡単な自己紹介を含めた内容にさせていただきたいと思います。

バイオリン製作を初めて17年、私が初めてバイオリン製作をしたいと思ったのは中学2年生の時でした。母と行った演奏会でヴァイオリンコンチェルトを聴いたのがきっかけでそれはもう衝撃的な出会いでした。元々木工関係の仕事に興味があったのでこれはと国内で学ぼうか海外へ行こうかと色々考えましたが、東京で母の知人より無量塔藏六親方を紹介してもらい東京ヴァイオリン製作学校を訪ねました。初めて親方と会った時のオーラは今でもはっきりと覚えています。凄くインパクトがあり、この方に習ってみたいと思いました。中学卒業と同時に入学したかったのですが、高校を卒業すること、バイオリンを弾けることが入学の条件でした。そこで初めてヴァイオリンの先生につき奏法を学びました。そして高校を出て上京、無量塔藏六親方主宰の東京ヴァイオリン製作学校へ入学しました。

やっとバイオリン製作が出来るという喜びに満ちた学生生活がスタート。学校生活では色々ありましたが・・・本当に色々ありすぎて長くなるのでカットさせていただきます(笑)。親方から学んだことは独立してから本当に役に立つことが多く、とても素晴らしい修行が出来たと思っています。今も年数回東京出張する度に親方にも会いに行き色々とお話させて貰っています。学校卒業後は、Andreas Preuss氏のお店に入り、Andreas親方の下3年間修復を学びました。楽器の修復、他にも多くのことを経験し大変勉強になりました。

27歳の時、結婚し鳥取に帰郷。アトリエ独立。製作に打ち込めるという気持ちと、地元に工房を開くという夢が叶った時でした。アトリエを始めてから4年目、県内で弦楽器普及活動をしていた私に三朝町からお誘いがありました。みささ美術館を活用してみませんかという提案です。その美術館は今にも閉館に追い込まれる状態でしたが、これは面白そうだということで準備を進め2013年7月、館長に就任しアトリエをすべてみささ美術館に移転しました。仲間にも恵まれ、製作と演奏という2本の柱をテーマに、美術館運営、工房業務、製作学校業務、と色々な取り組みを経て、バイオリン美術館として生まれ変わりました。

みささ美術館みささ美術館

運営始まった当初、月の来館者は100名程でしたが現在は600名まで増えています。(皆一人一人の力があったからこそ、そして家族の支えのお陰です。)2015年度4月からは「三朝バイオリン美術館」(名称変更予定)と更に盛り上げていきたいと考えています。
敷地内には鳥取ヴァイオリン製作学校を設置、バイオリン職人を目指す育成機関としてより良い環境を目指しています。残念ながら挫折してしまった生徒もおりますが、現在1名の生徒が一生懸命勉強しているところです。

製作や調整、修理、修復や指導、普及活動等、バイオリンというものを通しての様々な仕事をしてきたわけですが、ひとりの職人を目指すという思いから始まり、社会人になり独立して家庭をもち・・と人生を歩むに連れ私の中ではっきりしたことがあります。「哲学」を持つことがいかに大事かということです。これは、バイオリン職人に限ったことではありませんが、勉強したての学生にも熟練の職人にも言えることです。

哲学、それぞれの考え方はその人の仕事のすべて、生活の中すべてに出てくるものです。そして考え方一つで人生良くも悪くもなります。私は、特に近代、インターネットの情報化社会、様々な情報を簡単に入手出来るかわりに判断力、決断力が著しく欠けている人達が多いと感じます。自分の都合で物事を考え、体裁の良い情報にフラフラしていく。自己中心的な考え方が蔓延しているようにも思えます。加えて「最後まで何があろうがやりきってやる」という燃える情熱、自分自身で決めたことに最後まで責任をもって取り組む子が減ったように感じています。

鳥取ヴァイオリン製作学校鳥取ヴァイオリン製作学校

バイオリン職人になるのは誰でもなれると思います。食べていくのも困らないと思います。しかし、私は給料や収入だけではない価値観や自分自身の心を高めていくことの大切さを伝えたいのです。仕事とはその人自身が表れるものだと思うからこそ、バイオリン製作学校の中で、私は考え方を鍛えるということを重視して指導しています。具体的には、自分にも言い聞かせていることですが、どんなに経験を積み知識を得ても謙虚にして奢らない素直な心を持ち続ける、そして自分が培ってきた経験を新しい次の世代に伝えていく、などです。知識や技術が高いだけでは素晴らしい職人になることは出来ませんし、人に助けられて自分が学べたという感謝の気持ちを心の芯に持つことができれば、次は私が人にために動かなければと強い思いが出てきて、自分の身に付けた技術や才能を私物化せずに人のために使える職人になれると考えます。

さて、このように情熱を持ってバイオリン職人の仕事、育成に取り組んでいますが、一方で弦楽文化普及のためにも力を注いでいます。現在の目標は、山陰両県、島根、鳥取の全ての教育機関に弦楽部を作ること。美術館がバイオリン美術館として進化し続け、全国、そして世界から訪れる人達を増やすこと。国内を代表するバイオリンの聖地を目指しています。
根本的に人というのは変わりません。しかし考え方は変えていけるわけです。今私は弦楽器を通して音楽の楽しみを広げることが私の使命だと思っており、自分自身の哲学を更に磨き、精進して参りたいと思います。この世の中に素晴らしい職人が増え、弦楽文化、音楽文化が更に発展して輝いてほしいという願いを込めて書かせていただきました。ありがとうございました。

 

次回は2月20日更新予定です。