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1492、謎の"オオカミ"集団を追う

第199回 篠崎 渡 (2020.4.5)
篠崎 渡

2018年6月に「ヴァイオリン製作B.C.時代の街、フュッセンを訪ねる」というタイトルでヨーロッパの中世における弦楽器製造の中心地についてこの連載コラムに寄稿させて頂きました。その後2019年にそこで紹介した「Fussen Lute and Violin Making; A European Legacy」の英語訳・イタリア語訳版が出版され、また同年J. Huber氏によるバイオリン製作の歴史について説明する大変興味深い書籍「B.C. Before Cremona: A path through history to the violin」が出版されました。図らずも私が「B.C.」という言葉を使った直後にクレモナ以前の弦楽器製作の歴史についてこのようなタイトルの書籍が出て弦楽器の歴史を追う興味が私自身の中で改めて高まりました。そこで今回は最近得た知見から前述のフュッセンから出発して、おそらく日本語ではあまり語られていない、弦楽器の歴史を追ってみたいと思います。

 

【フュッセンの”オオカミ”】

フュッセン市立博物館に所蔵されている楽器の中で最古のリュート(1646年ごろフランス式に改造されている)には、Wolfgang Wolfという名前のリュートメーカーのラベルが付されている。Wolfgang Wolfは実在の弦楽器製作者で1544年にアウグスブルクの司教に製作した楽器の納品記録が残っている。この”Wolf(ドイツ語でオオカミ)”というリュートメーカーについて詳しいことはわかっていないが、フュッセン市のアーカイブには彼の祖父にあたるであろう人物の名前が残っている。その名はJorig(あるいはその後改名してGeorg) Wolf、1493年10月10日にHans Kegelというおそらく裕福な市民の庇護を受けてフュッセンの市民権を得たとのことである。その後、弦楽器職人としてフュッセンに暮らし生活を行っていったようである。このころからフュッセンは急速に弦楽器(主にリュート)製作の中心地として発展しておりこのWolf氏がそれに大きく貢献した可能性が高い。さて、このWolf氏であるが一体どこからやってきたのか?なぜ人口2,000人にも満たない町に楽器作りにやって来たのか?大きなヒントは彼が移住してきた年にあった。

 

【1492年】

コロンブスの新大陸発見で多くの人に記憶されるこの年はもう一つ大きな出来事がヨーロッパで起こった。それは国土回復運動(レコンキスタ)の成就である。8世紀から数世紀にわたってイスラム国家に支配されていたイベリア半島はカスティーリャ女王イザベラとアラゴン王フェルナンドの結婚によってスペイン王国を成立させイベリア半島の最後のイスラム王朝をグラナダで陥落させカトリック国家の再建を始めた。
レコンキスタ前のイベリア半島イスラム王朝は宗教的には寛容でその他の宗教信徒でも人頭税を払えば市民権を得られた。当初のイスラム国家においてキリスト教徒、ユダヤ教徒は同じ啓典の民であった。そこには中央アジアから西ヨーロッパまで多くの知識人や技術者が集まっていた。しかしレコンキスタ後のカトリック・スペインはカトリック以外の住民を”異教徒”として排除した。この年には「ユダヤ教徒追放令」が発せられイスラム王朝の中に残っていたユダヤ教徒たちはイベリア半島から移住するか改宗することを迫られた。その結果ユダヤ人は寛容な土地を求めてヨーロッパ/中東の地に、また新たに発見された新大陸を目指して逃げていった。そして移民していった者たちの中でユダヤ系音楽家集団こそが”オオカミ”の一派であった。

 

【イスラム王朝での音楽の発展―ヨーロッパ弦楽器誕生の背景】

8世紀前半までにアラブ帝国としてダマスクスを首都としたアラブ人のウマイヤ朝はアラブ人以外にもトルコ人、イラン人などの広範な民族が加わったアッバース朝に取って代わられた後、イベリア半島に侵入し西ゴート王国を滅ぼしコルドバを首都とした後ウマイヤ朝を建てた、756年のことである。アッバース朝の都はバグダッドであったがそこには「知恵の館」と呼ばれる図書館を有していていた。ここは古代ギリシャやヘレニズムの数学、幾何学、天文学、医学、哲学、芸術の書物やすでに消失していたアレキサンドリアの図書館の写本などを有していてそのアラビア語訳を行っていた。つまり、当時のバグダッドは学問、文化の中心地であった。またウマイヤ朝の都、トレド、コルドバでは東方のバグダットに対抗するように、あるいは共有するように、学問、文化を育んだ。ゲルマン諸族の大移動ののちそれまでのローマ/ギリシャ文化を失った中世のヨーロッパ人はトレドに、コルドバに「留学」しギリシャやアラブの文献に触れまた最新の科学を学ぶことができたのであった。このことはやがてヨーロッパのルネッサンスへとつながる。

中世にヨーロッパで発展した撥弦楽器リュートの起源はアラブの弦楽器ウードである。このウードは中世の楽器製造技術において著しい発展の成果である。それまでの弦楽器は一つの木の塊をくり抜いて作られていた胴(ボディ)と竿(ネック)に皮を張って作られていたようなものだった。それをあらかじめ加工した薄い板を用意し、曲げ、貼り合わせて軽量な甲羅状の胴作り、ネックは後でボディに組み付けた。また太鼓のように張られていた皮の代わりに木製の響板がついた楽器にした。こうすることで音響的なメリットを得られるだけでなく、製造における量産性や材料調達の幅が広がる。このようなウードを完成させたのは8世紀末にバグダッドで生まれた音楽家であり科学者であったジリヤーブだと言われている。彼は822年にコルドバにウードを持って赴きそこで音楽教育だけでなく多く分野の発展に寄与した。楽器製作を考えた時に音楽システムの構築や理解、楽器全体のデザイン設計、材料の選定/調達、加工技術といったことが必要になる。中世アラブ語圏で培われた自然科学(幾何学、代数学、物理、化学)や人文科学(哲学、思想、文学)はルネッサンス以降のヨーロッパ音楽に大きな影響をあたえ楽器のあり方の下地になったといえる。

 

ペルシャの楽器タール
⽊をくり抜いた胴に⽪を張った楽器の例

 

アラブの楽器ウード

 

【セファルディムユダヤ人】

ここで少しユダヤ人について説明しよう。歴史の中で世界中に離散していたユダヤ人のなかで15世紀以前にスペイン、イタリア、北アフリカ、トルコの地中海諸国に移民したユダヤ人は「セファルディム」、ドイツ語圏や東欧諸国に移民したユダヤ人は「アシュケナジム」と呼ばれている。国土を持たない離散された民、ユダヤ人は世界各地に彼らのネットワークをもっていたので知識分野の蓄積や金融、商業に長けておりイスラム社会でも重要な存在であった。あるものは官僚であったり、金貸しだったり、商人といった職業に従事していた。十字軍時代以降中世のヨーロッパではキリスト教による宗教的な迫害を受けるようになった彼らはキリスト教文化とイスラム教文化の混在するイベリア半島に多く暮らしていた。スペインでの追放令ののちイスラム世界に暮らしていたセファルディムの多くの移住先はオスマン帝国(トルコ)や北アフリカのイスラム圏はもちろんのことイタリア半島やヴェネツィアなどの地中海諸都市、アントワープやアムステルダム、ハンブルクなど北方の商業都市など宗教的に寛容なヨーロッパ各地に広がっていった。
セファルディム音楽家たちも例外ではない。その中で”Lopez(オオカミの子)”などと名乗って移住していったものたちがいた。そして、移住先の言語、習慣に合わせて名前を変えていった。例えば、イタリアではLupo(=イタリア語でオオカミ)とかドイツ語圏ではWolfと名乗っていった具合である。なぜ彼らが”オオカミ”を名乗っていたか、あるいはこのように呼ばれていたか、というのは蔑称的な意味で人々から遠ざけられているといった意味を含んでいるようであり、ユダヤ人が差別され続けてきた歴史を再認識する。そして、フュッセンに立ち戻ってスペインからこの”オオカミ”の一族が移り住んできてWolfを名乗って住みついたのではないか、ということが推測される。彼らはリュートを作る木工技術や音楽の知識/技術があった。ここには楽器を製造するのに豊富な木材資源、響板になるスプルースとリュートの甲羅になるイチイの樹があった。Wolfがフュッセンに移住して20年後ドイツではマルティン・ルターに端を発する宗教改革が始まる。ルターはリュートを愛する人物であった。新しい宗派の布教にあわせてリュートは裕福な貴族層に広がっていった。

 

【北イタリアの”オオカミ”たち】

さて、この”オオカミ”一族についてはさらに興味深い一派がいる。それは北イタリアを経てヴェネツィアに渡っていった”Lupo”達である。彼らはミラノやブレシアを経てヴェネツィアにたどり着いた。1540年ヘンリー八世治世のロンドンの宮廷に6人の弦楽器奏者たちが新たな楽団員としてヴェネツィアから到着した。彼らの名は以下のようにある;Alberto da Venitia、Vincenzo da Venitia, Alexandro da Mylano, Zua(ne) Maria da Cremona, Ambrose da Milano, Romano da Milano、このなかでAmbrose da MilanoはのちにAmbrose Lupus(Lupo)と名乗り彼の二人の息子Peter とJoseph は宮廷のバイオリン奏者の地位を世襲しイングランドで活躍していた記録が残されている。この”ミラノのアンブローズ”について、それ以前に彼は”de Almaliach”とも名乗っている。これはセファルディム系ユダヤ人の姓Elmalehにあたる。他の5人についても同様にセファルディムユダヤ人だったようである。北イタリアに移民した段階でそうであっただろうが、彼らはユダヤ人であること、あるいは改宗した新教徒、であることを隠す必要があったのは容易に想像出来る。なので、”ヴェネツィアのアルベルト”とか”ミラノのアンブローズ”などと名乗ったのであろう(少なくとも表立っては)。彼ら6人の演奏家たちはヴェネツィア在住のイングランド外交官を経てリクルートされた(ヘンリー八世の5回目の結婚式の機会に)。おそらく、リーダーの誰かが他のメンツを呼び揃えて結成した”バイオリン・バンド”と言っていいだろう。余談になるが、同年この6人の弦楽器奏者に先んじてヘンリー八世の「4回目」の結婚式の機会に5人の”笛吹きたち”がロンドンの宮廷に召し抱えられていった。彼らはBassanoという一族で後にヴェネツィアで有名な音楽家ジョバンニ・バッサーノはその子孫にあたる。彼らも実はユダヤ人(改宗した)だったというのが最近の研究で分かっている。旅芸人一座が巡業ごとにメンバーを集め、うまくいくと劇場を作り、メジャーになる機会を求めて人脈や技を磨いていくのは今も昔も同じようである。
イングランドの宮廷に居場所を作った彼らはその後空席ができたり臨時メンバーの必要ができたりしたときはヴェネツィアやアントワープから仲間の演奏家たちを呼んできた。彼らの名前には Antonio de Bortholomeo da violeta da Salo、Batista de Caro da Salloなんて名前も見られる。前述のZuane(=JohnあるいはGiovanni) Maria da Cremona、これらの名前から推測するに1500年前後にミラノ、クレモナ、ブレシア、ヴェネツィアの北イタリアにはセファルディム系ユダヤ人を介して中世のイベリア半島イスラム圏で発展した技術や知識、芸術とその技法が伝わり楽器の発展に繋がったことは確かだろう。これは1505年にクレモナで生まれ現代につながるバイオリンの元祖を製作したアンドレア・アマティが活動していた時代に重なる。

“オオカミ”の名前から辿った弦楽器の歴史の発端はスペインで迫害から脱出したユダヤ人による文化、技術の伝播、ということでした。もちろんこれが当時起こったことのすべてということではないと思いますがそれが一つの要因であったと思います。他にも同時代の楽器の発展についての興味深いエピソードはいくつかあるのですが、それはまた別の機会に語ることにします。

 

参考文献:

・Peter Holman, “Four and Twenty Fiddlers: The Violin at the English Court, 1540-1690” (Oxford University Press, USA, 14 March 1996)
・John Huber, “B.C. Before Cremona: A path through history to the violin”(PPV Medien GmbH)
・Josef Focht, Klaus Martius, Thomas Riedmiller, “Fussen Lute and Violin Making; A European Legacy” (Friedrich Hofmeister)