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イタリアフィレンツェ 古材アベーテビアンコの思い出

第254回 岩井 孝夫 (2022.9.20)
岩井 孝夫

この話は今を去ること30~40年前の出来事です。F氏は私より25歳ほど年上だったと思います。

彼は年に2~3回ヨーロッパに来て楽器の買い付けをされていました。クレモナに来た時は私達、若いバイオリン職人を6~7人招待してレストランで会食することが恒例でした。

F氏は東京に住まわれていましたが大阪生まれでした。「みなはん!今日は好きなものをお腹いっぱい食べなはれ」と、いつもお腹を空かせた若者達を見ながら自分はあまり食べず武勇伝を語り続け、私達は半分話を聞きながら、食べることに集中していました。

そんなことが10年続き、同じようにレストランで会食をしている時、私はF氏に「今度日本に帰ることに決めました。

これからは日本でバイオリンを作ります」と話しました。するとF氏は「さいですか。あんさん日本に帰ったらここに行きなはれ」とその場でメモ用紙に住所と地図を描いた後に「ちゃんと連絡とってから行きなはれや」と付け加えました。

私は日本に帰国してある日、F氏からもらったメモを見ながら連絡を取り、その場所へカローラバンに乗り、大阪の弁天町のTさん宅に行きました。するとそこにはTさんの奥さんと東京からたF氏がいました。

Tさんは今から70年前に、フィレンツェにバイオリン製作修行に行かれ、カルロ・ビジャッキの下で修業したバイオリン職人でした。

私がTさん宅に行ったときはすでにTさんは亡くなられていて、奥さんがTさんが所有していた大量の材料を受け継いでいました。

70年前、フィレンツェで大きな建物が解体され、その柱をTさんはコンテナで大阪の弁天町に送っていました。

もちろん、カルロ・ビジャッキもその材料を使って多くのバイオリンを作りました。

F氏はTさんの奥さんに私を紹介して、「この人はこれからのバイオリン作りやし、お金もないやろうし、これらの材料みんな、この人にあげなはれ」「それと指板や部品などそれらももう使わへんやろうからこの人にあげなはれ」とTさんの奥さんに言いました。

私はお礼を述べ、2m×30㎝×20㎝の柱をカローラバンに入るだけ積み込み京都に帰りました。

この写真はフィレンツェの建材アベーテをバイオリンの大きさに切っているところです。

その後、その材料を使って、多くのバイオリンを作りました。1998年にはその材料を使ったバイオリンをチャイコフスキーバイオリン製作コンクールにも出品しました。そして音響賞を受賞しました。

今になって思うと、人と人の出会いの中で大きな幸運をもらい私の人生は良い方向へと向かい始めました。

フィレンツェのアペニーノ山脈で採れたアベーテビアンコの古材を鋸で挽いたときの匂いは、独特の匂いがして北イタリアドロミーテ産のアベーテロッソとは全く違ったことを今も鮮明に覚えています。