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デシジョン

第176回 木村 哲也 (2019.4.5)

バイオリンの音色はどこで決まるのかと訊かれることがよくある。もちろん、この部分がこうなっているとこういう音色になる傾向がありますよ、という話しはできる。しかし、本当にそれだけで1つの楽器の音が決まってしまうのかと言われれば、もちろんそうではない。バイオリンが1つ出来上がるまでに、職人は一つ一つの工程で何らかの判断に常に迫られながら作業をしている。そして、出来上がった楽器の音色は、その組み合わせからなっている。だから、一番重要だという要素を1つだけに絞るのも難しい。あの人はいい性格をしていると言ったときに、どこがいい性格なのか意外に説明するのが難しいのと似ているかもしれない。選択肢の組み合わせは気の遠くなるような数だけある。個々の選択肢が出来上がる楽器に与える影響力は大きかったり、小さかったり。ただ意外にも、後戻りのできない、取り返しのつかないほどの間違った選択肢というものはない。やり直すのが面倒だったり、どうしよう、どうしようとパニックに陥ったり、もう一度やっても同じ間違いを繰り返すのではないか、もっと酷くなってしまうのではないかと不安になるかもしれない。けれども、バイオリンを1つ作れるだけの経験と根気、あとはほんのちょっぴりの勇気さえあれば、ほとんどの場合、しまった、と思う前の状態へ戻すことができる。
人は毎日、生きていくうえで無数の選択をしている。楽器作りと同じで、個々の重要度には差があり、ほとんどの「選択」は無意識のうちに経験に基づく直感でおこなわれている。だが、ときどき、生死に直接関わるほどではないかもしれないが、非常に重大な「選択」を迫られることがある。そんな、右に行くか、左に行くかでその後の日々が大きく変わってしまうほどの分岐点に立たされたとき、どちらに行くのかを決断するのは怖い。思いつくだけのメリットとデメリットを箇条書きにして慎重に決めようと思っても、結果を具体的に予想することで、さらに怖気づいたりしてしまうし、そうして決めたところで、思いがけない結果につながることは多い。どの道を選んでも、たいてい藪に蛇が潜んでいたりするものだ。だから怖い。ただ、右に行くべきか、左に行くべきかを迷い続け、そこで立ち往生してしまうのは、もっと怖い。

怖くても、迷いが残っていても、あえて選び、進み始める。後から、しまったと思うことがあってもいい。後悔することを恐れていては人生の楽しみは半減する。あのとき、こうしていれば良かったのにと人は思う。今の自分なら、より良い選択肢を選んでいたはずだと。ただ、今の自分により良い選択肢がわかるのは、当時の自分が間違った選択をしていたからだ。

自分が選んだ道が間違っていたと気づいたら、おずおずと後ずさりをするのではなく、堂々と回れ右をして、来た道を戻っていけばいい。今来た道を見失い、すぐには戻れないかもしれない。そんなときは、どれだけ時間がかかっても回り道をしていけばいい。周辺の人々には、見当違いな方向に進んでいるように見えるかもしれない。しかし、自分は確実に前に、前に足を踏み出している。後ずさりをするな、前進だ。戻れる道はきっとある。戻れる力はきっとある。必要なのは、今まで生きてきたぶんの経験と根気。あとはほんのちょっぴりの勇気だけだ。

そして、分かれ道に戻ったら、また選べばいい。時は経ち、同じ場所でも景色は移り変わっているかもしれないが、自分も新しい自分になっている。選ぶ力も増えている。そして戻る力も。