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思い出の、小さな作業台

第243回 菊田 浩(2022.3.20)

今回はクレモナでの修業時代の話をさせていただきます。

クレモナに留学したのは2001年、40歳の時でした。
留学の動機として、ヴァイオリン製作の本場で勉強したいという憧れはもちろんありましたが、日本で修行中に見たニコラ・ラッザリ氏の楽器の美しさに魅了され、この楽器を目指すには本人に習うしかないと思い、クレモナ留学を決意しました。

2001年に念願かなってクレモナに留学、ラッザリ氏と知り合うことができましたが、製作学校を卒業するまでの3年間は弟子入りを希望するのではなく、工房に定期的に通い、仕事ぶりを見せてもらうことに専念しました。
製作家は普通、間近で作業を見られるのは嫌がるものですが、ラッザリ師匠は私の願いを快く受け入れてくれ、その後の数年間、週に一度か二度、工房にお邪魔しては師匠の真横に立ち、メモを取りながら作業を目に焼き付ける日々を過ごしました。
それは、私にとってかけがえのない、貴重な時間でした。

当時のラッザリ氏、私はちょうどこの角度から作業を見ていました

 

そうこうするうちに、2004年、製作学校を卒業する年となりました。
当時のクレモナの製作学校は、卒業後にインターン制度があり、ラッザリ工房に弟子入りできる絶好の機会と思ったのですが、工房にはすでにイタリア人の弟子がいて、私が作業できるスペースはありませんでした。

ですが私はあきらめず、ドイツの通信販売で見つけた小さい作業台を購入して工房に持ち込みました。
「工房の片隅に置けば作業ができる!」と下手なイタリア語で熱弁をふるった私を、師匠は快く受け入れてくれました。
その作業台は、いわゆる子供用として売られていたもので、サイズも小さいですが、高さが足りなかったので、木材で台座を作ってかさ上げしました。

持ち込んだ作業台で仕事をする私

 

以降、2009年に独立するまで、この作業台で楽器を作り続けました。
2006年にヴィエニアフスキー・コンクールで受賞したヴァイオリンも、この小さな作業台で製作しました。

当時の工房の風景、右は兄弟弟子のアレッサンドロ・メンタ氏

 

私見ですが、楽器製作に限らず、物事の上達を目指すには、第一に、良い師匠に出会うことが重要で、ひとたび師匠を目標と定めたら、その「模倣」を目指し、寸暇を惜しんで修行に励むことが、自分を成長させる道と思います。
「模倣ばかりでは独自性や個性が育たない」、という考え方もありますが、そうしたものは、師匠に近いレベルまで成長できた時、自然に生まれてくるものだと思います。

私の場合、日本でラッザリ氏の楽器に出会い、生涯の目標と信じることができたのは、何よりも幸運なことでした。
そして、クレモナに渡ってからは、模倣をしたい一心で工房に押しかけて仕事を見せてもらい、そして自分の作業スペースを作るために作業台を持ち込んだのですが、それは、成長するための必要な行動だったと今でも思います。

独立してから10年以上経ちますが、工房にお邪魔するたびに、その作業台が同じ場所に置かれているのを見るのは、とても嬉しいことです。

2004年、製作中の楽器を手に、師匠との記念撮影