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二つの狂気が出会う時

第232回 西村 翔太郎(2021.9.20)
西村 翔太郎

Nicolo Paganini (1782-1840)

 

こんにちは。クレモナでバイオリンを製作しております、西村翔太郎です。
昨年に続き今年も展示会が中止となってしまいました。今年は特別展としてガルネリ・デル・ジェスのカノーネモデルの楽器展が予定されておりました。そして、そこで設置する事になっていた解説パネルを私が執筆させて頂いておりました。折角ですので、ここで公開させて頂きます。

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「パガニーニは繰り返さない」これはイタリアではよく聞くフレーズです。同じ事を繰り返すのが面倒な時によく使われる言い回しで、王様に頼まれてもアンコールをしなかったというパガニーニの逸話から来ています。
そんな、音楽史の中でも異彩を放つ天才バイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840) 彼の生涯は余りにも沢山の伝説や逸話に纏われ、生涯を正確に把握する事がとても難しいバイオリニストです。特に、青年期の 19 歳から 22 歳にかけては、突然全てのキャリアを捨て、聴衆の前から消えた「謎の時代」と呼ばれており、その足跡は正確には分かっていません。
数少ない資料の中で、友人に宛てた直筆の手紙に「この頃は農家仕事に従事して、ギターを弾いていた」と書き残しており、既にイタリア国内では天才として絶大な名声を手に入れていた彼が、音楽の世界から離れようとしていたのは間違いないようです。

しかし、この時期に彼は、その音楽性をさらに開花させるバイオリンとの出会いをしていたのです。このバイオリンとの出会いについて彼は何度も違う証言をしていますが、当初、「コンサートのために訪れていたリボルノで、賭博に負けバイオリンを手放す事になったが、フランス人商人が現れバイオリンを贈られた」と語っていました。しかし晩年、友人へ送った手紙には、「1804 年 22 歳の時にミラノのピーノ将軍からバイオリンを贈られた」と記しており、こちらは他の資料とも一致します。繰り返さないはずのパガニーニが、何度も脚色してまで語るほど重要な出会いとなったバイオリン、それがガルネリ・デル・ジェスの 1743 年製のバイオリン、後にその力強い音質から「カノーネ(大砲)」と呼ぶ事になるバイオリンでした。
パガニーニはこの楽器に導かれる様に、彼の代名詞とも言える名曲「24 のカプリース」の作曲に取り掛かって行きます。その後パガニーニは、大スターへと上り詰めていき、その名声に惹きつけられるかのように、数々の名器が彼の元へ集まってきました。しかし、彼は最後まで「カノーネ」を弾き続けたのです。
この若きパガニーニを魅了し、その音楽性を開花させたガルネリ・デル・ジェスの名器「カノーネ」とは一体どういう楽器なのでしょうか。

ガルネリ・デル・ジェス(Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698ー1744)のバイオリンは、それまでのバイオリン製作の歴史を覆すほど独創的で、その造形から生み出される音もまた、他に代えがたい魅力を放っています。
それを決定づけているのは、何といってもその独特なボディと F 字孔です。

 

 

ストラディバリと比べるてみると、上下のボリュームはどちらも似ているのに対し、ガルネリ・デル・ジェスの C 部が大きく開いているのが分かります。実際に計測すると、ストラディバリよりも平均して3mmも C 部が開いています。 この独特のアウトラインは、ベースはジロラモ・アマティからの影響が指摘されており、特に 1740 年以降の最晩年はその一致率がより高くなっていく一方で、C 部の開きはより増していく事になります。
そして、ガルネリ・デル・ジェスの F 字孔は、後期になるほど大胆に長くなっていき、1740 年以降はその傾向がより顕著に現れます。その中でも最晩年のカノーネなどは、ストラディバリのF字孔よりも5mmも長くなっており圧倒的な長さを誇っています。

 

Stradivari 1715 Cremonese vs Guarneri del Gesu 1743Cannone

 

現代の音響解析の技術では、楽器のボディがどの周波数を増幅するかを見ることが出来るのですが、ガルネリ・デル・ジェスは、堅牢さと F 字孔が影響する周波数(A0 mode)がとても高く、強く検出されます。この周波数は楽器の音全体に影響を及ぼし、特に低音においては如実に表れ、強く出るほど低音の音量に影響すると考えられています。この事が「迫力のある低音」と形容されるガルネリ・デル・ジェス独特の音を作っているのではないかと考えられています。そして高音域においても、表板 F 字孔周辺と裏板の中心部が大きく隆起して起こる周波数(C4 mode)が強く出ています。これもストラディバリでは殆ど見られない周波数で、これが「カノーネ」では「豊かな高音」と形容された音を作っているとも考えられているのです。

 

Modal Analyze of Guarneri model by SHOTARO NISHIMURA

 

更に、マサチューセッツ工科大学の実験では、F字孔のアウトラインに沿ってエネルギーを放出する事が分かっており、ガルネリ・デル・ジェスの F 字孔の圧倒的な長さは、クレモナのバイオリン製作の開祖であるアンドレア・アマティの F 字孔よりも 30%もエネルギーを多く発生させている事が分かっています。この事が、「カノーネ(大砲)」とパガニーニが呼んだほど遠くにまで届くエネルギーを発生させているのかもしれません。
この様に、ガルネリ・デル・ジェスは意匠として伝統を覆しただけでなく、その音響効果もそれまでにないものを生み出していた事が、最新の研究で分かってきているのです。

 

acousticians and fluid dynamicists at MIT,

 

この楽器史の中でも狂気と言えるほどの異彩を放つガルネリ・デル・ジェス、その中でも突出した楽器「カノーネ」。そして、音楽史を変えるほどの才能をまだ持て余していた若きパガニーニ。この二つが出会った時、音楽の歴史の歯車がまた動き出したのでした。

1837 年、死期を悟ったパガニーニが、愛器「カノーネ」を故郷のジェノバ市に、永遠に保管する事を条件に寄贈する事を申し出でます。以降、現在でもジェノバ市のトゥルジ宮「パガニーニの間」にて大切に保管されています。そして、その向かいには、とてもよく似た楽器が展示されています。
1833 年パリ、パガニーニがバイオリン製作家ジャン=バティスタ・ヴィヨーム(1798-1875)の下に、「カノーネ」の修理を依頼します。ビヨームは早速この「カノーネ」をコピーし、パガニーニに贈呈しました。このコピー楽器もパガニーニが終生大切にしました。これが史上初めての「カノーネのコピー」です。
その後、数多くの有名製作家達がその後へと続き、「カノーネ」を参照しコピーをしてきました。長い楽器史の中でも、特定の楽器がここまで参照されるているのは、この「カノーネ」以外にありません。もはや一つの様式となっています。

天才パガニーニをパガニーニたらしめ、そして数々の名工を魅了し続けているガルネリ・デル・ジェスの「カノーネモデル」。残念ながら、展示会は開催中止となってしまいました。しかし、まだこの展示会の為に製作された特別な楽器をお持ちの製作家もいらっしゃるかと思います。是非、お近くの会員のお店にお尋ねください。

 

バイオリン製作家 西村翔太郎