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ジェラシー

第263回 木村 哲也 (2023.2.20)

バイオリン職人は大きく分類すると二種類しかいない。紙やすりを切る職人か、ちぎる職人か、だ。

 

そんな大まかに分けることが本当に出来るのかは別として、紙やすりを切るかちぎるかを訊くことによって作り手の作風が予想できるというのはあながち嘘ではない。切るか、ちぎるかの選択には職人の性格が出る。そして、出来上がったバイオリンには、外見にも音色にも製作者の性格が反映されるからだ。バイオリン製作というのは、「バイオリンに見えなくてはならないし、バイオリンの音を出さなくてはならない」という暗黙のルールがある伝統工芸なので、実は絵画なんかよりも作った人の性格が現れやすい。素人には見分けがつかない、似たものの中でいかに自分の個性を出せるか試行錯誤するからである。

 

そんな物を作って仕事にするのは、自分の内面を形にして値段をつけて売っているようなものだ。自分の作品の欠点を指摘されると、あたかも自分がけなされているかのような錯覚におちいりやすいのは、そのためだろう。もともとこだわりが強く、自分の仕事に誇りを持つ人間が職人になっていることがほとんどなので、ちょっとした批判で自尊心を打ち砕かれてしまうことがある。そして、自尊心の低さは嫉妬につながる。

 

「嫉妬深い職人ばかりで嫌になる」とはメキシコ人の職人友達が、自国のバイオリン職人について語った際の言葉だ。月並みなイメージしかないが、陽気でおおらかでフレンドリーなどという国民性を持つメキシコ人でさえそうなのだから、どの国にも他者の成功を妬ましく思うバイオリン職人は一定数以上いるのだろう。少なくとも経験上イギリスやベルギーではそうだったし、世界一オープンで活発な技術交換が行われているアメリカの職人からも、嫉妬を匂わせる発言を聞いたことはある。

 

この業界は楽しいかもしれないが、お世辞にも楽とは言えないし、恐ろしく狭い世界だ。そんなところで、ぶれにぶれる自尊心を持って過ごしていれば、他の職人に嫉妬しやすくなってしまうのも自然なことだろう。かくいう自分も嫉妬しやすいほうだ。自分の嫉妬深さは嫌というほど自覚しているから、最近は、その醜い感情の動きを心の中で観察するようにしている。これが意外に面白い。

 

例えば、自分の楽器の 1.5 倍とか 2 倍の値段で売っている職人の作品を見かけると、羨ましい、どうすればこんな値段で売れるのか、そもそも高すぎじゃないか、本当に商売が上手い人は得だなあ、などと嫌味も交えつつ色々と考えてしまう。もちろん嫉妬である。しかし、一年に一本作って売れればそこそこ良い暮らしができる、というレベルのお値段が付いている楽器になってくると、「へー、スゴイデスネ」と心の中で棒読みするだけで終わってしまう。

 

これはどうも、妬みというのは、置かれている立場が自分と似ている人に対して芽生えやすいかららしい。ようするに、自分が取って代われそうな相手、頑張れば勝てそうな相手にしか嫉妬しないということだ。確かに、本気でモーツァルトに嫉妬している音楽家なんてほぼ存在しないだろうし、ストラディバリを妬ましく思っている製作家もあまりいないだろう。

 

しかし、ここまで書いてきて、ふと思った。いや、実際、ストラディバリに嫉妬するというのは、結構な確率でバイオリン職人が一度は経験することなのではないか、と。少なくとも、ストラディバリとほぼ同等だと思い込んでしまうことは珍しくないはずだ。

 

バイオリン製作学校を卒業した直後、自分が次世代のストラディバリだとか、はたまた生まれ変わりだと、半ば本気で思っていたりするバイオリン職人(卵)は思いのほか多い。ストラディバリはそんなに好きじゃないとか、ガルネリの渦巻きなんて目隠しでもしていないとあんなふうに削れないよね、などと言ってみるのがマイブームになるのもこの頃だ。人によっては、自分が作ったバイオリンに「Firebird」なんて名前をつけちゃうかもしれない。

 

小さい子どもにとって、世界は自分を中心に回っている。何でも出来る気になったり、何でも知っているつもりになりやすい。そんな子どもも、成長していくうちに、より現実的な物の見方を身に付けていく。バイオリン職人(卵)も経験を積み、同じようなプロセスを経て、自分は異世界で無双している勇者でもなければ、その世界を司る神でもないことにそしてもちろんストラディバリでもないことに気付く。「自分が思っているよりも遥かに普通で、特にそれ以上でもそれ以下でもない楽器を、自分は作っている」という事実を認めたとき、ようやく卵印がとれる。そして、気が滅入ることを言うようだが、その事実はおそらく今後変わることはない。

 

「あなたのバイオリンは普通ですね」と言われて喜ぶバイオリン職人はいない。冒頭に述べたように、作品の評価と自分自身の評価を混同してしまう職人にとっては、なおさらナイフで刺すようなコメントだ。特にバイオリン職人には、変人だと思われることが好きだという性癖がある。

 

だが、普通のなにが悪い。普通であっても別に個性がないわけではなく、誰にも気に入ってもらえないわけではない。きっと誰かに惚れられて、大切にされていく。だから、自分も他人の作ったバイオリンを見たり、聴いたりしたときは、まず惚れ込む感性を大事にしよう。そうすれば、嫉妬が胸中でうごめくことも少なくなるに違いない。この楽器は駄目だな、とビシッと言えるのはえてして格好良いと思ってしまいがちだが、そういうのはあまり自分のためにはならない。まず、惚れろ。その刺激が次の楽器を作る力になる。