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チェロはじめました

第238回 畑 亮一(2021.12.20)
畑 亮一

今年も押し迫って来ました。
毎年この時期になるとなぜか押し迫って来ますね 笑

さて、去年(2020年)の6月からチェロをはじめました。
製作ではなくてお稽古の方です。
60の手習いです。
いまさら?です。

チェロの演奏に関しては長年、演奏を聴いたりお友達やお客様が弾いているのを聴いて「チェロっていい楽器だなぁ」とは思ってはいたのですが、ただ眺めるだけで、レッスンに就いて練習しようと決めるまではあと一つの踏み込みがありませんでした。
ただ、製作しているときに「自分で作るものを自分で弾けないってどうなん?」とは感じていました。

きっかけは、少し前に中古チェロを買っていただいたお客様がかなり熱心に練習に励んでいらっしゃるのに勇気をいただいて「そうだ、自分もやってみよう!」と思い立ったということがひとつ。
それともう一つのきっかけですが、実は2019年の9月に急激な体調不良のため緊急入院からの精密検査、と言う危うい経験をしてしまいました。
有難いことにその時は無事退院出来て、事なきを得たのですが「人生の強制終了はいつでもありうる。好きなこと、やりたいことを先延べしていたら自分の一生に恨みが出る」と感じ、この度えっちらおっちらと始めたわけです。
幸い教えてくださる先生も見つかり「手ぶらで来てもいいならレッスンしますよ」という条件で、今はうちの在庫を使ってもらいながら工房で格安レッスンをしていただいてます。

大学オケでヴァイオリンというものに出会い、今現在は市民団体に混ぜてもらってビオラをこすっているので、弦楽器の演奏に関して全くの素人と言うわけではなかったはずなのですがいかんせん、チェロは勝手が違い過ぎました。
まずもって出来ないことが多すぎる。
当然譜面など読めないのに加えて、左手指は開かないわ、弦をちゃんと押さえられないわ、弓があさっての方に滑っていくわ、等々「コンナハズデワ、、、」という事柄がぞろぞろで、もはや「練習」と言うよりも「格闘」?
それでも「ぎこぎこぼよよん」と音を出してるときは気持ちイイんですよね~。

 

(お客様から買った練習用チェロ)

 

先日ある事に気づきました。
レッスン(練習)とは結局、「身体の使い方をおぼえる」ということに収斂されるとのだ思いますが、楽器の構え方から始まって色々な体の部位(指、手首、肘、背中など)の動きを身につけて行こうとする段階で、ふと自分のモノの捉え方(考え方)がジグソーパズルのピースのように、まず細かい要素でとらえ、それらを連携して一つの「絵」(この場合は演奏)につなげていこうとする発想をしていることに気づきました。
その方法論、方向性が間違いというわけではないのですが、それとは別に、物事を引いて観る全体視の捉え方の方が、ピースそれぞれに多少の不出来があってもトータルでは結局まとまっていたりするのではないか?という考えを持ち始めました。

その時ふと思い出したのが、以前このコラム(第83回掲載分)にも書いたことなのですが、僕が作って出来上がったヴァイオリンがどうしても「置物」のようにしか見えなかったという大先輩職人さんからの指摘です。
個々の部位とそれに関する技術、精度を追いかけて行っても結局それだけでは「楽器としてのヴァイオリン」という最終ゴールには至らない、ずれが生じる、と言うことです。
同じ人間が同じ脳みそを使ってやっていることですのでやはり考え方の偏りというか特定の発想の呪縛に陥ってしまうのでしょうね。
製作する楽器と同じく演奏(技術)もまた、ピースで捉えるだけではなく(勿論そこも必要な事なのですが)「全体視」が必要なんだなぁ、と今では感じています。

そして、もう一つ気づいたこと。
僕のチェロの先生は「発表会」をしない人なので今自分が「どこに居るのか?」「今どのくらいのレベルでこれから先どうなるのか?」を客観視する機会が無いのですが、これもまた大昔、弟子入りしていたころと同じで、同レベルの人が周りに全くいない状況(都市部から遠く離れて親方一人弟子一人という環境の中での修業でした)の中、いったい自分がどんなレベルでどこに引っかかっているのか?が全く分からない、という環境にこれまた似ているなと思いました。
歴史は繰り返すのでしょうか?笑

ともあれ、そんな状況でもお稽古は続きます。
最近では夜に練習をするため酒量もへってしまいました。でもこの歳になってようやく「人に教えてもらう」と言うことの楽しさがわかったような気がして、ああでもないこうでもないと工夫しながら時間があればギコギコする毎日です。

 

(最新作の小型チェロ。演奏性と音色、音量の両立を目指しています)