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演奏者の希望を理解するために

第174回 伊藤 丈晃 (2019.3.5)

工房に楽器が持ち込まれる時というのには、楽器が壊れた、楽器の調子が悪い、もっと楽器のポテンシャルを引き出したいなど、お客様によって依頼の内容は様々です。

でも、何らかの理由で大きく壊れてしまった楽器を除けば、お客様が工房にお持ちになった時点で音が出せます。これがメンテナンスのスタートとなる「(演奏者が今日まで弾いていた)もともとの音」です。

この「もともとの音」にも、お客様の数と同じだけ、様々なパターンがあるのも確かです。

僕は時間と事情がゆるすかぎり、一番最初に「もともとの音」を(①自分で楽器を弾いて聴く音+②楽器の持ち主が弾いた音を聴く)の両方で、どのような音がしているか特徴をつかむようにしています。

初めに楽器の音を聴かせていただいた時、つまり「もともとの音①+②」を聴いた時、すでに十分良い音だと感じられることもありますし、もっとこうした方がより聴き手に魅力的に響くんじゃないかなど、かなり具体的な内容が頭に浮かびます。ただこれは、一鑑賞者による個人的な感想(僕の好みや考え方)程度のものなので、このまますぐには楽器の音の調整には役に立ちません。

そこで、どうしても必要になるのは、お客様自身が持っている何らかの「言葉」です。

ここで「言葉」と言いましても、なにも特別なものである必要はありません。

変に難しい理論的な言葉や専門用語である必要はありませんし、どこかの本やインターネットでまとめられている常套句のような言葉が、ぽつんと単独で語られても、それが楽器の調整を成功させるためのヒントなることは少ないです。

むしろ、お客様自身もまだ上手にまとめきれないようなところから出てきた「言葉」がまさに宝で、その演奏者が固有に持っている「つぶやき」みたいな、その人なりの「自分の感想」をはばかることなく、たくさん口にしていただいた方が『なぜ』楽器の現状に満足していないのかや、お持ちの楽器の『どこ』が気に入らないのかが見えてくるものです。

理由が解ると「もともとの音」が、そのお客様の耳にどのように聴こえているのかが想像できるようになりますし、そこまでくるとお客様が楽器に対してどのような内容を望んでいるのかが理解できるようになります。

今まで自分なりにいろいろなアプローチで楽器の調整をしてきましたが、今更ながら、楽器を実際に使う本人からの意見をしっかり聞くことが何より大切だと感じます。

あえて大げさな表現をしますと、楽器の音は、演奏者と共同で完成するコラボレーションのようなものとも言えます。最終的に楽器を弾いているお客様が満足をしなければ意味はないので、そこでは、必ずしも技術者の好みや考え方「だけ」が全てではないことを、もっと多くの方に知っていただけたらと思います。

そして、是非工房では遠慮することなく、もっとこうだったらいいなという「③目指そうとする音」のイメージを大切にして探求してみてください。そこがなにより楽器の面白みだと思っています。

音に熱心な方でさえあれば、いつでも熱烈歓迎いたしております。

ただ、最後にここだけは強調しておきたいのですが、今回「言葉」が大切とは言ったものの、音を厳密にコミュニケーションするには、それ「だけ」ではあまりに不完全です。音に関して言えば、「言葉」だけ用いてしまうと、コミュニケーション「しているかのように」ただ時間は過ぎていきます。

ここでの「言葉」が本当の意味で生きてくるのは、先に話した①+②の音を工房という空間を介して共有(同じものを共に聴く)ができた時だけのような気がします。

言葉と言葉だけでは、常に行き違う感覚すらあります。(だからと言って、寂しい話をしたいわけではありません。)

演奏者と技術者のコミュニケーションと調整の結果の音楽が、一種の化学反応のようにして起きるミラクルだとすると、この時の楽器とその音は、まさに『触媒※』として作用していると思うのです。

「楽器はコミュニケーションの触媒(仮説)」をこれからも仕事をしながら検証していきたいと考えています。

※触媒(しょくばい)とは、特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。(ウィキペディアより)