1. ホーム
  2.  > 連載コラム
  3.  > 第113回 清水 陽太(2016.02.20)

そくせき

第113回 清水 陽太(2016.02.20)

いくつかの意味がある言葉 “そくせき”。
もちろんこの業界 “即席” はほとんどなく、その昔ヴィヨームという人が楽器職人がいないような地域の頻繁に都市部に出てこれない使用者にも簡単に弓の毛替えができるようにと交換式替え毛を世に出しましたが、現在に残らなかった事を見ればあまり必要とされなかったのでしょう。
すぐには出来ないほうの “足跡“ 今回はこちら。

演奏家であればどこどこのホールで、県で、国で、規模の大小ではなく演奏家として動きまわった地理的な足跡も後世の人間がその人を知る上で大きな情報となる。一方で楽器作りというのはあまり動かない。移動時間と費用の縮小化が進み情報が錯綜する現代は世界中を動く機会も増え、情報交換網も飛躍的に広がっているが、楽器作りは根本的な価値を生み出している場所が変わることはあまりなく、その時は「引っ越し」になる。
作品に出てくる影響は、その人の製作拠点の変遷に伴う、接触する音楽家、同業者、芸術家、顧客、パトロンなどにも左右されるので、そのあたりで見つかる情報にも楽器作りの足跡が残っていたりする。

一時帰国する折に時々耳にしていた京都府北部に楽器作りがいたという話を、完全帰国してからもう少し詳しく聴く事が出来、現存する楽器や遺された材木、渦巻きを含むネック部分のいわゆる下仕事まで進めたもの等を研究材料にと見せていただく事が出来た。
この作者は戦時中に疎開して来られて戦後もしばらくこの地に居られたそうである。まだ詳細な取材が出来ていないので中途半端な情報は書けないので省略させていただくが、この作者は峰沢泰三氏。ヴァイオリンが四挺ありどれも綺麗な状態であったので(膠の接着はさすがに剥がれがあり、埃だらけではあったが大きな傷が無いという意味で)、その中の一挺を必要最低限の範囲で修理し弦を張り、音を出してみた。

幸いにも同じ作者の4挺の楽器があり、現代の一般的なものとは異なるネック部の木取りが全てにおいて確認できたので意図的なものだと確信できた。
また、バスバーの剥がれを再接着する為に響胴を開けたが、ここでもバスバーの木取りに違いがあった。日本の弦楽器製作史の中ではまだまだ初期の作者であるし、当時の情報不足からくるものなか、独自の意図があるものなのか判然としないが、これがオリジナル状態であり、この木取りではどんな影響があるのかという興味もあり(実際には比較実験が出来ていないのでその効果は解かりにくいが) 新しい現代式のバスバーには交換せず箱を閉じた。スプレー塗装も採り入れ始めた時代の楽器であるようで、その名残もしっかりと響胴内部に見てとれた。ネック仕込み角も現代標準に比べると鈍角で駒は低くなる。現存するオリジナルの駒から判断してもネックの下がりはほぼない。

どんな音がしたか?という事は読者にとって一番興味があることだと思うが、今回のテーマからは少しずれる事と、ここに記すことで個人的感想・感覚がその楽器や作者の作品に対する固定観念や先入観となってはいけないのであえて書かない。もちろん自分で音を出してみるだけでなく演奏家の方に弾いて頂いた音を聴いて客観的にとらえるよう努めている。それらの動画を用意するという事も再生環境の相違等により意義が希薄で伝わりきらないので行わない。通常の音楽の録音・再生と、ここで目的とする音質の録音・再生は少々異なる。

もう一度の詳細取材をこの楽器の所有者に打診していて、当時の工房があった場所や住まいだった住所、何処から材料を仕入れていたか?どんな仕事場でどんな仕事ぶりだったか?当時の事を知る人の記憶にしか残っていない事を今のうちに資料に残しておかなければならない。そうしないと、戦前のミラノの工房宛の酒屋の記録から大量のワインの消費が判明したが、ここの楽器作りは大酒呑みだったらしい、と。実際に個人消費か工房のパーティーでの消費かは知らないがこのような冗談を言われかねない。

様々な場所に“あしあと”は残っているが放置すると消えてなくなる。現在も古い楽器作者の情報を掘り起こす作業はヨーロッパでなされている。また現代は個人が情報を発信し記録されていくので将来的に作業は幾分簡単になるのかもしれない。
私のところにやってきたこのヴァイオリンも何かの縁があってのことだと思うし、この峰山町で作られた楽器やここで得られる情報はその作者を知る上でのほんの一部のものでしかないが大切なこととして作業を進めたい。

この作者のラベルにはNipponとだけ場所を特定できる情報がある。
古くから、町の名前を入れるのが一般的であるのに、1930年頃であろうこのラベルは何故、国名だけが記されているのか?西洋の音楽を奏でる楽器を日本で作った。という事なのだろうか?
そこに込められた意図は知る由もない。

次回は3月5日更新予定です。