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第9回 杉本 有三(2011.06.05)

昭和54年の6月 朝刊の求人欄を見た日から私と仕事の関わりが始まりました。音楽にまつわる仕事ができたらいいなと安易な考えだった私は当時20歳。
求人欄の「ピアノ・ハープ」に目がとまり「バイオリン」には目もくれず「ピアノの調律師かな?」と思いつつ履歴書に「技術志望」と書きポストに投函しました。

ところがその時技術で応募したのは偶然にも私一人だけで会社側には選択肢もなくすんなり入社できてしまったのです。私は幸運でした。社内には弦楽器が所狭しと並んでいて「あっ、そーゆーことなの?」とカルチャーショックを受けました。その日からエプロンをつけ、面倒見がよく広き心と熱き指導力の先輩に引っ張っていってもらいました。朝早く出社し、部屋の掃除、砥石の面出しと基本作業を日課とし、刃物以外の道具は先輩、同僚と共有で使い自分一人のポットやニス類、その他工具類が最低限揃ったのは入社して10年過ぎてからの事でした。
音楽にまつわる知識や演奏の学習は皆無で、只々目の前にあるオールド楽器の修理、調整の技術職に明け暮れました。薄い、薄い経験の中にも会社が定期的に入荷する競売品に数多く触れる機会に恵まれたのは貴重な経験だったと感謝しています。
また個々の作品の特徴や作者、メーカーの約束事など頭の片隅に「記憶と勘」として残ったのは楽器や弓がよき勉強材料であり職場がよき教室だったからです。
しかし途中、幾度と心が折れた時もありその度、先輩や同僚が降りてきてくれました。
自他ともに認める不器用な私は一度も技術者として自分を捉えず、いちサラリーマンとして従事してまいりました。
そんな私も40半ばに退職。やがて大阪市内に小さな店を開業致しました。
「楽器を作ればもっともっと楽器の事が判る」の先輩の教えに沿って1年に1本のペースで製作しております。相変わらずノーラベルで今回の展示会も協会員のみなさまに潜り込み目立たぬ様、配置させてもらいました。

職場は大阪市内の一角を間借りして営んでいます。近くに阪神高速高架下に「末吉橋」なる橋がありみごとな石質模様があります。このスクロールがまた秀逸で石材職人のスゴ腕の成せる技なのか、あるいは形枠に石材を流し込んだ彫刻か、はたまた宇宙人謎の遺産なのかと自分ではまねの出来ない理想型に嫉妬しながらも切れない刃物と格闘している昨今です。

製作も修理も調整も基本から離れず「シンプル・イズ・ベスト」をモットーに日々、歩んでいます。
今後共 皆々様のご指導のほどよろしくお願い致します。

ご朗読ありがとうございました。

次回は6月20日更新予定です。