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締め切り前夜

第220回 木村 哲也(2021.3.20)

またコラムの締め切りだ。一週間ほど前にコラム執筆のお知らせメールが届いたときは、ちょうど構想を練り始めたところで、これだけ時間があれば余裕だなとたかをくくっていた。それが、気がつけば締め切り直前になっている。不覚としか言いようがない。

10年ほど前、某弦楽雑誌に連載していたころは、集中して執筆に取り組みたいときには、コーヒーを飲みまくって頭の回転を速くしたり、音楽に合わせてノリノリでタイピングをしていた。しかし、現在はいかに締め切りが近づこうともそうはいかない。

カフェインを注入しすぎると、頭の中を言葉の渦が超高速でグルグルと回転するだけで、ちっとも文章にまとまらないという現象が起きる。

音楽を聴きながら書くのも難しくなってきた。歌ものだと、普段は聴き流していたような英語の歌詞すらも、なぜかやけにはっきりと聴き取れてしまう。「君は僕に背を向けて扉を閉め、そして僕はいなくなってしまった」なんていう歌詞が不意に聴こえてくると、必死に一文字でも多くタイピングしようとしている手を止めて、しゅんとしてしまうから要注意だ。

何かネタになることはないかと、前回このコラムを担当したときのメモ書きを見てみる。すると出だしには一言、「花粉、苦しい」とある。読むだけで息苦しくなって、涙がちょちょぎれる。どうやら、2年前も花粉に目やら鼻やらをやられながらコラムを書いていたようだ。そしてやはり、原稿を届けられたのは締め切り直前だったらしい。コラムが遅れがちになるのは、すべて花粉のせいにできそうだ。

さらにその前はどうだったか。前々回のコラムを担当したのは今から4年前で、執筆していたのはやはり3月だった。しかし、公開されたのは5月。しかも、締め切りよりもかなり早めに仕上げていた様子だ。
何があったのか。

そういえば4年前は、やることリスト、通称ToDoリストを活用して効率を上げようと躍起になっていた時期と重なる。この頃のToDoリストを見返してみる。

まず、家用と仕事用のリストがあり、さらにその中に30分以内で出来る雑務リスト、より時間のかかるプロジェクトリスト、買い物リストなどに分かれている。それぞれの項目にもさらに細かいタスクがチェックリストとなって並んでいた。なかには、趣味のリストなんてのもあって、やってみたい趣味に「格好良い折り紙」なんてのもある。

もちろん、各項目は期限付きである。そして、ほとんどのチェックリストにはチェックがついていない。
「格好良い折り紙」も、もちろん未チェック。この4年間に作った折り紙なんて鶴と紙飛行機くらいだ。

4年前のコラムを締め切り前に仕上げていたことからも分かるように、ToDoリストが役立たずだったわけではない。リストにチェックを入れるたびに何らかの達成感もあった。

ただ、その達成感を味わうためにタスクを細かくリストアップしていくと、気がつくころには膨大な数のやるべきことが並んでおり、しかもリストを作り終えるころには日が暮れている。そして、その巨大なリストを眺めていると、どこから手をつければいいか検討もつかずに麻痺してしまう。

「これとこれは楽勝だなw」というポジティブなムードになるどころか、「やること多すぎて草。魚〜」なんていう非生産的な自暴自棄の状態に陥りTwitterに逃げかねない。効率を上げようとしたものの、かえって効率を下げてしまう結果になり、さらに心の健康にも悪い。結局、自分がToDoリストをほとんど使わなくなってしまったのは、こういった理由からだ。

このようなToDoリストの罠に嵌まらないようにと考え出されたのが、「かんばん方式」という、トヨタが生み出した同名のシステムをプロジェクト管理に応用したものだ。ジム・ベンソンが「PersonalKanban」という格好良いタイトルの本で説明している。

細かい方法は割愛するとして、この方式の肝になるのは、やることリストの他に「実行中」のリストを作ることにある。実行中リストにあげられているタスクの数をできるだけ少なく、例えば3つまでにする。
そして、1つのタスクをやり遂げたら、また1つやることリストから実行中リストに加える。

なるほどこれだと確かに、今やることが多すぎて、猫を撫でながら奇声を発して現実逃避してしまう、ということが少なくなる。ただ、この方法でも、「今ではなくてもやるべきこと」をつらつらとリストアップしていくことには変わりない。とりあえず、「かんばん方式をやってみる」をやることリストに加えるだけにしておこうか。

本来、リストなんてものは全く作らないほうがストレスにはならず、健康で幸せな生活のためには良いのかもしれない。なんだかんだ言って、この原稿も着実に仕上がりに近づいている。リスト無しの生活で困るのは、買い物に出かけて、ビールと柿の種だけを買って肝心のトイレットペーパーを忘れたというときくらいだろう。

たった今、自分のToDoリストには、「〇〇さんに良いチェロを作る」とだけある。なんてことはない、それが今、自分に任されている、自分が一番しなければいけないことで、自分が一番良く出来ることだからだ。