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山形出身の作曲家・紺野陽吉のバイオリンの修理を通して

第185回 安冨 成巳 (2019.9.5)

山形市で工房を営んでおります安冨と申します。
ご縁があり今年度初めに山形出身の作曲家・紺野陽吉(1913~45)氏が生前愛用されたバイオリンの修復を行わせていただきました。
このコラムをご覧くださっている方はおそらく紺野陽吉という作曲家の事をはじめて耳にされる方がほとんどではないでしょうか
陽吉氏は若くして満州で戦病死し、弦楽二重奏曲・弦楽三重奏曲・木菅三重奏曲の楽譜が見つかっているものの、活動の詳細はあまりわかっていない作曲家です。戦前に東京のオーケストラでバイオリン奏者を務めておられたようです。 その紺野陽吉氏が使用していたバイオリンが御親族によって生家の蔵から発見されました。そのバイオリンは長い間眠っていたため、様々なところにトラブルがあり演奏できない状態でした。

多くの方に氏の生涯と音楽を知ってもらうために、この楽器を甦らせ再び音楽を奏でられる状態にしこれを使用して彼の残した楽曲を演奏するという演奏会が、楽器を託された陽吉氏の生まれ故郷である白鷹町の文化交流センター・橋本館長により企画されました。 実現のためのクラウドファウンディングが達成され、以前紺野陽吉氏の楽曲を何度か演奏会で取り上げられていた山形交響楽団のメンバーの方で構成される山形弦楽四重奏団を演奏者として、本年9月15日に演奏会が開催される運びとなりました。 ご縁のある山形弦楽四重奏団のメンバーの方よりお声がけいただき、この度そのバイオリンの修理を任せていただける事となりました。 以前、演奏会で紺野陽吉氏の作曲した曲を聞かせていただきましたが、とてもよく記憶に残っています。 僅かしか曲を残されていませんが、もし戦後もご存命ならどのような作曲家になっていたのだろうと考えさせられる非常に魅力的な楽曲を書いておられます。
個人的にはバイオリンとチェロで奏でられる弦楽二重奏曲が特に印象深い曲です。 今回修理した楽器に関しましては20世紀初めごろザクセン地方で製作されたと思われるものでした。内部は当時量産のためになされた手抜き作業や、戦前に行われた修理跡などで酷い状態で、言い方が失礼ですが粗悪なものでした。 しかし陽吉氏は医学部の入学金をはたいて西洋音楽の道を志すためにこの楽器を購入したと伝えられています。現在の市場価値では決して高価な楽器とは言えませんが、当時日本の未発達な西洋楽器市場では高価な額がつけられていたのかもしれません。海外製のヴァイオリンを手に入れるのもまだ非常に困難な時代だったのではないでしょうか。いずれにせよ、よほどの決
意でこの楽器を購入されたことが伺えます。当時、上京して西洋音楽の道を志すということは今よりはるかに大きな決断が必要だったはずです。
それが活動半ばにして戦争に駆り出され、32歳の若さで戦病死されてしまいます。
音楽や芸術への強い思いを持ちながら、時代状況が陽吉氏の道を断ってしまったという事をこの楽器を修理していて非常に残念に感じました。
改めて今の自分が何気なく音楽に触れ自由に取り組めるという環境、また楽器職人を通して音楽に携われる、音楽文化に微力ながら貢献できる仕事が出来ているという現況が、なんとも有難いことなのだと感じます。
紺野陽吉氏の残された楽曲の楽譜は《白鷹町文化交流センターあゆーむ》で購入することができます。
また菖蒲弦楽三重奏団が陽吉氏の楽曲を録音されたCDもMittenwaldというレーベルから発売されています。ご興味が湧かれた方は是非聞いてみてください。