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師匠からの宝物

第182回 耿暁鋼 (2019.7.20)

 時も令和元年になりました。私日本に来られたのは昭和63年の夏でした。なんかお爺ちゃん見たいな話、申し訳ないです。ミラノの街で日本人の爆買いから平成銀座で中国人の爆買いまで。この世間の変化に対して我々の世界ではほぼ変わらなく,みなさん黙々と彫る板の厚みと膨らみの少しの変化に失敗と成功は繰り返して着実に進歩しています。どうしてもこの年代の変わる時に,昔の事を思い出したく,この場を借りて書かせて頂きます。
 今の仕事の世界に入ってきたのは、1981年の事でした。バイオリンを作りたく北京のバイオリン工場に入社した。四百何十人の工場の中手工製バイオリン部門には20人ぐらいしかいません,コネのない私にはそこ行くのは夢のようでした。大備料という所,大きな電気ノコギリの仕事の毎日でした。二年目の頃ある日工場で一番技術の高い所ハープ作りの師匠から”おーい、僕のところに来たいか?”と声を掛けられだ。80パセントの気持ちで”いきたい”と答えた。(本当はバイオリンを作りたいです)それから自分の作業台、カンナ、鋸から様々道具作りからの8年間の修業でした。ハープつくりの材料は厳しくて何年間の先の材料用意しないといけない、そこで私は電気鋸から人力鋸の毎日でした。大きな木を切る時師匠は上鋸私受け側の下鋸、気持が合わないと上手く切れないです。あの時いつも言われてくるのは、”ただの切るじゃないよ!木と会話するよ”。時を重なってだんだんと、今日はこの木を切るのはいいか良くないか、と解るようになりました。途中でやめる気持ちもありましたが、今になって考えると本当に続けて良かった。

今は私の仕事はほとんどバイオリンの調整と修理が主になっていますが、毎日お客様と楽器と私、時にその楽器の作る人との心の会話です。忙しくて疲れる時に、バイオリンの一枚板を切りたくなるです。不思議な事に力仕事ですが、疲れが消えるんです。師匠が言ってたことは制作への影響をはっきり言えないですが、多いに影響しているの気がします。魂のような存在です。