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一意専心

第44回 河辺 恵一(2012.11.20)

「一意専心」 意味は「他のことに心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること」や「わき見をせず、ただひたすらその事のみに心を用いること」などのことです。

ただひたすらに、その様に集中して何かに打ち込める環境に自分の身をおくことも難しい現代の情報過多な都市生活。集中してその事に取り組む、自分で考え自分なりの表現を導き出す。その様な時間は、現代の私達にとっては、いつしかとても贅沢な時間となってしまった様にも思えます。

さて、弦楽器製作の世界でいう「名工」とは、日本の伝統で云う「匠」の世界とも似ています。その方たちもきっと「一意専心」 で取り組んでいらっしゃったのだと思います。

「法隆寺の鬼」 と云われた日本の宮大工の世界にその名が知られている匠「西岡常一」。現代日本建築の最高峰にも位置する、正に匠の心と技術と感性の持ち主でいらしたそうです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、その西岡氏の残した言葉の中から三つご紹介をさせて頂きます。
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木にはそれぞれクセがあり、一本一本違います。
産地によって、また同じ山でも斜面によって変わります。
真っすぐ伸びる木もあれば、ねじれる木もある。
材質も、堅い、粘りがあると様々です。

木も人間と同じ生き物です。
いまの時代、何でも規格を決めて、それに合わせようとする。
合わないものは切り捨ててしまう。
人間の扱いも同じだと思います。
法隆寺が千年の歴史を保っているのも、
みなクセ木を使って建築しているからです。

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建物は良い木ばかりでは建たない。
北側で育った「アテ」というどうしようもない木がある。
しかし、日当たりの悪い場所に使うと、
何百年も我慢する良い木になる。

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ーNHK・プロジェクトXでの紹介よりー

工房の近く明治神宮 北参道口にある鳥居です。風格があります。工房の近く明治神宮 北参道口にある鳥居です。風格があります。

心に響くものがあります。もちろん楽器は建物とは異なりますが、昔から人は樹木からの恩恵を受けて、木に支えられ、木材を様々なことに利用して文化を育んで来ました。私たちは今、その名工や匠の残したモノを通じて、その手仕事の形跡を見て触れて学ぶことができます。

そこには、その製作に掛けた人の集中力や情熱、知恵や工夫、そして作者の思いが宿っています。

 この波の模様は槍カンナによる削り(ハツリ)跡です。自然なひび割れが年月を物語っています。 この波の模様は槍カンナによる削り(ハツリ)跡です。自然なひび割れが年月を物語っています。

我々現在の楽器や楽弓の製作者たちも同じ様に木材を扱うのですが、何か忘れられてしまっている人の持つ大事な感覚があるのではないかと思うことがあります。もしかするとそれらは現代の便利な電動工具や機械らに支えられて行っている効率的に思える作業の中に隠されてしまっているのかも知れません。

そしてもうひとつは、必要以上の様にも思われる情報の交錯と、目まぐるしく入れ替わる人やモノの新説。経験や習得といった時間を掛けて人の中で養われていく体感的な成熟は、決して先に頭から入れる知識や情報だけでは無い、ひとり一人が持っている自己の時間軸に添って、磨かれ育まれていく技術や感覚の習得と、知識や経験の養われ方なども、見直すことが必要な頃となって来たのかも知れません。 

三つ目にご紹介する西岡氏の言葉はこちらです。
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人に聞いたらじき忘れる 木と対話して仕事しなはれ。

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真っ直ぐです。美しい仕事の跡だと思いませんか。匠の仕事を感じます。これはヒノキの一本柱です。胴回り約2m70cm、直径約86cm。こんなペルナンブコ材があったら大興奮です!真っ直ぐです。美しい仕事の跡だと思いませんか。匠の仕事を感じます。これはヒノキの一本柱です。胴回り約2m70cm、直径約86cm。こんなペルナンブコ材があったら大興奮です!

弓の製作でも、一番神経を使うところが、まさに木(ペルナンブコ材)との対話です。木の棒一本を削り出して曲げて弓に仕上げていきます。一本一本の質の違いや異なるクセと、もの申さぬ木の反発を感じて折り合いをつけながら、その先にある自分の弓のイメージを木と相談しながら製作していく感じです。

私は楽譜にある音符記号を音や、音楽で表現することは得意ではありませんが、頭に浮かぶ三次元的な立体イメージを、手で触れることのできる質量のある形で表現できることは、モノづくりの醍醐味であると感じています。真似では無い、オリジナルの自分流の表現を創り出せた時は、気持ちの良いものです。

最後に、「サウンドポスト」直訳すれば 「音柱」や「響き柱」、それを「魂柱」と訳した、日本人の持つ表現の美意識と先人たちへの感謝を込めて、乾杯。本当に的確で美しい和訳だと思います。

次回は12月5日更新予定です。