1. ホーム
  2.  > 連載コラム
  3.  > 第242回 篠崎 渡(2022.3.5)

いざ埼玉、大河ドラマがやってきた!

第242回 篠崎 渡(2022.3.5)

こんにちは、埼玉で埼玉を愛する弦楽器製作家の篠崎 渡です。
6年前に当時まだブーム上昇中の「翔んで埼玉」をはじめ地元埼玉を紹介するお話を投稿しました。
誇らないのが誇り、の埼玉人ですが、昨年2021年は埼玉の偉人中の偉人、渋沢栄一が大河ドラマ
『青天を衝け』で取り上げられ、そして今年2022年は埼玉(武蔵の国)で鎌倉幕府設立に貢献した坂東
武者が描かれる『鎌倉殿の13人』となり2年続けて埼玉関連のストーリーで歴史ファンの埼玉人とし
てとても熱い展開になっています。その上、今年すごいのは、とうとう我が町内に「大河ドラマの幟
(のぼり)」が立ったことです。いやー、こんな日が来るとは子供の頃には夢にも思いませんでし
た。

「私の住む滑川町にも大河ののぼりが!」

 

そこで今回は私の工房から車で10分の範囲でいける大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する人物に
まつわる場所を紹介したいと思います。いずれも源頼朝や北条氏一族にやられてしまった悲運の3人
に関連の場所です。これからの放送でドラマ後の「紀行」に紹介されないかと期待しています。

 

• 比企能員(ひきよしかず)と比企尼(ひきのあま)
私の住む比企郡の地名は源頼朝を援助した比企一族の名に因んでいます。頼朝の乳母、比企尼が夫の
比企遠宗と京から下向した時にこの地に居を構えていたらしいということでその遺構、三門館跡が私
の住む滑川町町内にあります。なんでもこの地で採れた米を伊豆に流刑された頼朝に送って援助して
いたそうです。比企尼の養子である比企能員は頼朝が挙兵したのち源平の合戦で各地を転戦しながら
活躍し、頼朝の死後「13人」の一人として幕府の中枢にいましたが北条氏の謀略に会い比企能員を
はじめ一族滅亡の憂き目にあってしまいます。ドラマでは比企尼を草笛光子さんが、比企能員を佐藤
二朗さんが演じています。
三門館跡というのはドラマでフォーカスが当たるまでほとんど知られておらず、最近はじめて行って
みたのですが入り口には解説表示が新たらしく建てられていました。ここよりも道路の反対側にある
泉福寺の駐車場まで移動すると辺りの様子をよく観察できます。

「三門館跡入り口 現在館跡地は一般の民家です」

 

能員死後、その娘で2代目将軍、源頼家に嫁いだ若狭局(わかさのつぼね)と比企尼が隠棲したとい
う宗悟寺(東松山市)はここから車で10分ほどの比丘尼山(びくにやま)の近くにあります。

 

• 源義賢(みなもとのよしかた)と木曽義仲
義賢は頼朝の叔父でその子の義仲は頼朝の従兄弟にあたります。義賢の居所、大倉館は旧鎌倉街道が
通る嵐山町大蔵にあって今は大蔵神社となっています。仲違いをした兄弟の義朝に従ったその子義平
(頼朝の兄)にここで討ち取られてしまいます。近くの民家の庭先にはお墓があります。

「大蔵神社 遺構はあまり多く残っていません」

 

「源義賢の墓石入り口 帯刀先生は『たてわきせんじょう』と読みます」

 

義賢がやられてしまい生命の危機にあったその子駒王丸こと後の木曽義仲(ドラマでは青木崇高さん
が演じる)はこの時、家臣に助けられ木曽に落ちのびます。成長して頼朝の挙兵に呼応するように木
曽で挙兵し平家を京都から追いやりますが、頼朝の弟たち範頼・義経率いる鎌倉軍に討ち取られてし
まいました。義仲は大蔵館ちかくの鎌形八幡で生湯に浸かったと伝わっていますが、この神社は昨年
『青天を衝け』で渋沢栄一が子供の頃に踊るささら獅子舞のロケ現場に使われていました。

「鎌形八幡神社 『青天を衝け』のロケ地になりました」

 

大蔵館から鎌倉街道を少し南に行くと太平記で有名な笛吹峠があります。この街道をのちに新田義貞
が鎌倉を攻めに通り、遥か以前には坂上田村麻呂が蝦夷征討にここを超えて陸奥に向かったと思う
と、今は何もないところですが嘗ての様子が偲ばれます。

 

• 畠山重忠
頼朝の鎌倉政権樹立の立役者、畠山重忠(ドラマでは中川大志さんが演じます)は大蔵館の北側、都
幾川を挟んで対岸の菅谷に館を構えていて現在では菅谷館跡として残されています。現在の城郭跡は
のちの時代に拡張されたものらしいですが、すぐ脇の国道254号を車で通りながらでもはっきりとわ
かる空堀や土塁が見えます。ここは近くにある杉山城址とともに「続日本100名城」に加えられて
いて関東の山城、砦としてはとてもよく残されています。ここには現在、埼玉県立嵐山史跡の博物館
があって歴史を語る展示やイベントが企画されています。

「菅谷館跡入り口 中世の城郭ファンは近くの杉山城も訪ねられたし」

 

畠山重忠も比企能員とともに頼朝の元で活躍しましたが、その後は能員同様、北条氏の謀略によって
滅亡させられてしまいました。重忠といえば源平合戦の一ノ谷の戦いにおける「鵯越(ひよどりご
え)の逆落とし」で馬を担いで崖を下ったエピソードで有名ですが、ここから鎌倉街道をずーっと下
って出自の深谷市畠山にある畠山重忠公史跡公園にその勇姿を示す重忠の銅像があり壮観です。

「重忠公史跡公園 馬を担ぐってすごいね、これ見ると」

 

私の工房にいらっしゃるときは御用ついでに近所の歴史探報などしてみてはいかがでしょうか?逆に
ついでに工房にいらして頂いても結構です!
Viva 埼玉!