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此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ

第211回 岩井 孝夫 (2020.10.20)
岩井 孝夫

私の人生は会社勤めの転勤族でもないのによく引っ越しをします。イタリアのクレモナに11年間在住していた時は6回引っ越しました。

最初のアパートは5畳位の一部屋で仕事机とベッドとキッチンがあり、空きのない空間で仕事が終わり、椅子から立つとすぐ横にベッドがありました。ベッドから2歩でキッチンにたどり着きました。その狭い部屋にニス、道具、ストーブがあり、今から思うとよくあんな薄暗い部屋で生活していたなと思いますが、その頃はとても幸せだった事を覚えています。2年目になると、バイオリンもたくさん作っていました。一本2万円で売っていたので、所持金の少なかった私は働かなければ生きていく事は不可能でした。

このまま話を続けると長くなりすぎるので、帰国後の話をします。

日本に帰ってからは工房(仕事場)だけで7回の引っ越しをしました。最初は亀岡市で京都弦楽器工房を始めました。

亀岡では三味線や琴の修理依頼はありましたが、バイオリン人口が少なすぎて仕事はほとんどなく大阪市内で仕事をしようと考えました。亀岡から山を越えると高槻市に入り、大阪市内に行くにはだいぶ距離があったので高槻で仕事を始めることに決めました。マンションの一室でバイオリン工房クレモナを始めました。これが2回目の引っ越しです。亀岡からは250ccのバイク通勤をし天気の良い日はたまに自転車通勤しました。結構大きな峠でも若かったので脚力がありました。

3回目の工房引っ越しはマンションの窓から見えていた向かいのビルでした。その頃バイオリン製作学校を始めていたので大きな場所が必要になったからです。

上の写真はバイオリン製作学校の卒業式の写真です。卒業試験の時はマエストロ ジョ・バッタ・モラッシーとマエストロ ジョルジョ・スコラーリが代わる代わる来てくれました。

4回目の引っ越しは製作学校を閉校することを決め、大きな場所は必要ないのでJR高槻駅近くのビルにしました。

この頃から関西弦楽器製作者協会の前身である卒業生のグループ「ピアチェーレ」を作り、職人の製造直売の弦楽器展示会を始めました。

5回目の引っ越しは枚方市津田の古民家になります。私は59歳(2013年)になり、より良い環境でバイオリン製作をしたいと思い此処に決めました。

しかしこの場所は楽器製作には適していましたが、楽器販売には人口が少なすぎて、またお客さんが足を運ぶには不便な場所でした。そして高槻で多くのお客さんが来たのは私自身が有能な楽器職人だと思っていたのが、実は場所が良いから人が来たのだとわかりました。

そして人口の多い大阪市内京橋に2号店を出しました。

すると今度は日本で初の新型コロナウイルスのクラスターが工房近くで発生しました。京橋工房は2ケ月休業し、その後7回目の引っ越しを行います

2020年9月に大阪市中央区の肥後橋駅近くに高麗橋ショールームをオープンしました。

現在、午前中は枚方の工房で仕事をして午後は高麗橋がショールームで私の製作した楽器や弓の販売する場となっています。また毛替え、修理調整なども行っています。
大阪市内の交通の便の良いところなのでぜひお立ち寄りください。

この前、you-tubeを見ていたらアントニオ猪木が引退式の時、清沢哲夫の「道」という詩を詠んでいました。

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし

ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である

わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

フェデリコ・フェリーニの「道」は気づくのが遅すぎた人生でしたが、清沢哲夫の「道」は不安もあるが希望に満ちた道のようです。