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ターニングポイント

第89回 木村 哲也(2015.02.20)

ヴァイオリン製作家としての転換点というのが今までに何度かあった。その大部分を占めるのは人との出会いだ。かけがえのない出会いというのはたくさんあれど、職人としての自分に最も影響を与えたという観点で見ると、製作家ニール・アーツ氏との出会いはそのなかでも一番重要な位置にある。

彼に初めて出会ったのは、13年ほど前、まだ私が英国の製作学校にいたころ。学校を訪れていたニールにたまたま階段で出くわして話し始めたのがきっかけなのだが、この日の前日、たまたま見つけてチェックしていたウェブサイトが彼のホームページだった。憧れの的だった製作家ロジャー・ハーグレイヴの一番弟子だったニール・アーツとこうして話ができるとは、と感動しながらもベラベラと質問をしまくり、挙句の果てには、「私のことを知っていたのかい?」との問いかけに、「いやいや、ロジャーの名前をググっていたら偶然ホームページを見つけただけだ」と馬鹿正直に答える始末。それでも、当時ケンブリッジにあった彼の自宅兼工房を訪れたいと後日連絡したときには快諾してくれた。

一番右にいるのがニール・アーツ一番右にいるのがニール・アーツ

そして意気込んで会いにいったその日。このときは泣かされそうになった。持っていったヴァイオリンをぼろくそに言われたからだ。「ここは酷い」、「これはストラドではありえない」、「こんなふうだと、まともに弾けない」などなど。みるみるうちに意気消沈していく自分に彼はこう言った。「学生にしてはいいんじゃない、の一言を聞きにわざわざここまで来ているわけではないだろう?」

そして次に、製作の工程にそって一つ一つのパーツについてこと細かく批評してくれた。しかもただ単にこれはダメというだけではなく、なぜダメか、そしてどうすれば良くなるかということまで丁寧に教えてくれた。わかりにくい箇所は、山ほどある資料のなかから、嫌な顔ひとつせずにストラディヴァリなどの写真を引っ張りだして説明してくれたりもした。

ニューアークの製作学校にてニューアークの製作学校にて

その後、彼には非常にたくさんのことを隠しもせずに教えてもらった。彼が凄いのは自信に満ち溢れていながら傲慢さのひとかけらも見せないところだ。知らないことは知らないと言うだけではなく、二人で資料を見ながら答えを探したことも何度かあったし、他の職人に聞いて、あとから教えてくれるということもあった。卒業試験で作った楽器を見せにいったときは、採点表を照らし合わせながら、自分だったら、と採点し直してくれた後、卒業祝いにということで庭で世間話をしながらご馳走になった。高級食材だということを知らず、遠慮なしに食べまくったロックフォールの味はまだ忘れない。

逆に反面教師のような出会いもある。数年前、東京にある某弦楽器店にヴァイオリンを持って顔を見せにいったときのことだ。そこの工房をまとめている職人にヴァイオリンを見てもらった。ろくに楽器を見もせずに、その人はこう言い放った。「あんたは、口だけだ。」

なんだこれは、である。ここが悪いとか、もうちょっとここがね、みたいな話は一切なし。別に褒めてくれとか、温かい励ましの言葉をかけてくれなどと言ってるわけではない。しかし、だ。楽器の批評を聞きにきているだけで、人としての批評を聞きにきているわけでない。どんなに尊敬されていても、経験が自分よりも数十倍あるにしても、常に何らかのアドバイスをしてくれる人たちに慣れていた自分にとって、ショックだった。その日、私はすぐに席をたった。こういう人といくら話をしても仕方がないし、近くにいるだけで猛毒だ。

日本では職人というと、人一番こだわりがあり気難しい、人付き合いの悪い、誇りが高いというようなイメージがある。そしてそのイメージを地で行くヴァイオリン職人が実は多い。情報や技術を共有して、という態度の人たちはヨーロッパやアメリカなどと比べると極端に少ない。それでいいのだろうか。技は盗むものだ、という。この言葉を勘違いしている職人がやたらに多いのではないか。もちろん、人の仕事を見て真似して学ぶという点は合っているし、受動的にならずに常に自分から学んでやろうという姿勢は必要だ。感覚的なものは言葉ではなかなか伝わらない。けれど、この言葉は教わるものが使うべき言葉であって、教える側にいるものが都合よく使うべきではない。

自分は自分、師匠は師匠、弟子は弟子、職人は職人、商売人は商売人、演奏者は演奏者。そういう壁を自分たちで作ってしまってはいないだろうか。伝統は素晴らしい。ただし、美しい伝統ばかりが残っているわけではない。どう考えても悪い伝統というのはぶち壊していい。若いからとか、煙たがられるからとか、今まではこういうふうだったから、などとは言っていられない。そんな態度でぬくぬくとやっていると業界はどうなるか。国内の数多い伝統工芸に目を向ければよくわかる。自滅していくだけだ。

幸いにも関西弦楽器協会にはオープンな姿勢を持つ職人がたくさん集まっている。古い価値観にとらわれず、共に行動して業界を良くしていこうという人たちが集まっている。素晴らしい出会いの場だ。この会で生まれる出会いの一つ一つが、業界全体の転換点へと繋がるのではないか。いや、繋げていかなければいけない。

口だけだ、と言われるかもしれない。けれど、口も動かないやつに何ができるというのか。尊敬する高校の先生がこう言ったことがある。「他人に語れないような夢は持つな。」

私の夢は「レベルが高く、オープンで、世界中から尊敬されるヴァイオリン業界を日本に確立すること」だ。

 

次回は3月5日更新予定です。