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新作楽器のニスに起こる問題と豆知識

第19回 大森 琢憲(2011.11.05)
大森 琢憲

はじめに
どうもこんにちは。第19回のコラムを担当させていただく大森です。
今回は新作楽器の購入に於いて時に問題となりうるニスの話題について書くことにしました。昨今ではインターネット上で外国の文献を取り寄せることができたり、また日本弦楽器製作者協会理事の佐々木 朗さんがバイオリンに関する疑問や日常の手入れについての本を出版[*1]されたりしているので趣味でバイオリンを弾かれている方の知識や楽器への理解度は昔より格段に向上していますが新作の楽器にはそれに加えて特有の注意が必要になる状況もありますので僭越ながら今回コラムとして記事を載せてもらうことにしました。

[*1]弦楽器のしくみとメンテナンス 第1巻、第2巻(佐々木 朗 著:音楽之友社)

注・この記事は執筆者個人の経験を元に書かれており当協会の見解ではありません。
  また、ニスの種類や処方による優劣を論じる意図はありません。

市販の楽器用ニスを使用した修理風景市販の楽器用ニスを使用した修理風景

1.新作楽器に起こる特有の変化とは
新作の楽器は一般的に楽器商で扱われているオールドの楽器とは異なり
1,弦による張力を初めて受ける
2,張力と駒・魂柱位置の兼合いによる表板・裏板の馴染み(ごく微小な変形)
3,ニスの乾燥・硬化具合による美観の変化
という製作した当人にも将来の変化を予測することが難しい点が含まれますが1と2に関して通常は購入した方が何らかの影響を与えるというよりは問題が起こった場合に製作者あるいは修理者が気づいて再度適切に調整するという流れになります。

その一方、3のニスの変化というのは「目に見える」ことから購入者の方にとっても気になるという以上に”自分の管理が悪かったのではないか”と心配になったり、”何か変なニスを実験的に塗られたのではないか”と製作者に対する不信感となったりする恐れもあります。今回のコラムでは新作のニスに起こる変化について考察していくことでこのような不安が解消できればと思います。

2.よく使われるニスの種類
個人製作の楽器に於いて使われるのはおおまかに言って「アルコールニス」と「オイルニス」の2種類です。
きわめて大雑把な理解として
[内容物]
アルコールニス=溶媒がアルコール、ニスの主体が4-5種の樹脂、着色剤としての染料・顔料
オイルニス=乾性油に硬質樹脂を溶融させた物、少量のテレピン油またはぺトロールと着色剤の顔料
[乾燥・硬化]
アルコールニスは溶媒のアルコールが揮発することにより乾燥する。
オイルニスは樹脂の固着性と乾性油が空気中の酸素と反応して膜状に変化する性質を利用している。
という点をまず覚えていただくとこれらのニスが物理的に異なる変化によって乾燥するということがご理解いただけると思います。

3.新作のニスに起きやすい問題
経験上、新作楽器のオイルニスに起こる問題の多くは「塗りたてのニスがとても柔らかい」という事が原因になると思います。
実際の症状としては肩当の当たる部分のニスがズルっとずれてしまったり、ひどい場合は楽器ケースにべっとりと貼り付いてしまったりしますが根本的にこれらを確実に防ぐ方法はありません。強いて言えばケースに収納して問題が起こる場合は楽器立てに掛けておくか、バイオリン・ビオラなら部屋の梁にピアノ線を張って吊っておくしかありません。
また楽器の地の部分が露出してしまった場合はその部分だけアルコールニスで保護したりして対処することになります。

自作のアルコールニスを用いた下地からの修理(途中)自作のアルコールニスを用いた下地からの修理(途中)

4.オイルニスの製作
ニスの基本的な組成と製作法についてですが現在ではドイツのHAMMEL社の楽器用ニスが業務用として楽器店等で広く使われる一方、手工品の弦楽器に於いては各々の製作者が自らの学んだ流派の古式に則りニスを手作りしています。
関西弦楽器製作者協会の会員もそれぞれ独自にニスを製作して使用していますからその全容を記事にすることは不可能ですが一般論としてオイルニスの組成と製作法には共通する部分があります。

まず樹脂をテレピン油またはぺトロールに溶解させこれを乾性油(各種リンシードオイル)と混ぜ合わせて作りますが、この時テレピン油に溶解しない樹脂を使用したい場合は事前に過熱した乾性油に樹脂を溶かし込むという作業が必要になります。
完成したオイルニスには適宜薄め液としてテレピン油を入れたり必要であれば硬化促進剤を入れますが、これらの作業は16世紀イタリアの古典的な油絵具の作り方と同じです。実際にパリ音楽博物館で分析されたストラディヴァリのニスも原材料は乾性油と松科の樹脂であり特別な”秘密の材料”は発見されなかったと発表[*2]されています。

[*2](Paris Museum of Music, 2009, Jean-Philippe Echard)

5.オイルニスの乾燥期間と実際
バイオリンのオイルニスに於いては上記の硬化促進剤を混ぜるよりも紫外線ランプを用い温度湿度を管理した専用の乾燥室を使う方法を好む製作者もいますが、このことを説明すると時折ショックを受けたような表情になる方がいます。
それは「手作りのオイルニス」という物からイメージするAuthenticな感覚からかけ離れた、あまりに人工的で工場で作っているような乾燥方法だという印象を持たれるようです。しかしながらこれにもそうせざるをえない理由があるという点をご説明したいと思います。

先にオイルニスは乾性油が空気中の酸素と反応して硬化すると書きましたがそれには必要不可欠なものが三つあります。
それは「適度な温度、低い湿度、長い時間」の3つです。温度と湿度が時々刻々と変化するものである以上、バイオリンのニスの硬化はどうしても最後の”時間”に頼ることになります。より具体的に言えば一般的なオイルニスの指触乾燥は数日ですが初期硬化に必要な期間は約12か月です。しかもこれはあくまで初期硬化であって乾性油の表面が硬化した後もニスの底の部分は柔らかいままで完全に結晶化するまでには100年以上かかるとも考えられています。

自作のオイルニスて゛アンティーク仕上け゛自作のオイルニスて゛アンティーク仕上け゛

6.オイルニスに関するよもやま話と現代的研究の成果、不思議な一致?
ウソかマコトか16世紀イタリアの高名な宮廷音楽家ルカ・マレンツィオ氏(Luca Marenzio,1553年-1599年)がバイオリンを注文製作したエピソードとしてこんなお話があります。

当時新進気鋭の作曲家として活躍していたマレンツィオ氏は自らの器楽曲に用いる新時代の楽器として相応しいクレモナのバイオリンに惚れ込み、宮廷楽器として発注する注文の相談を受けた時には自身の出身地であり古くから弦楽器の名産地として有名であったブレシアを差し置いて迷わずクレモナの名をあげ自ら仲介役まで買ってでたのです。
しかし、その次の年から彼は楽器の到着を首を長くして待っている注文主に対して度々手紙を送らねばなりませんでした。
『例のViolの件は私も度々製作者に手紙を出しています。彼が言うには楽器はできているが天気が悪くニスが全く乾かないとのことです。』
『例の楽器の件ですが、製作者の手紙では天気がとても悪く、あと数か月して天候がよくなれば作業も進むだろう、とのことです。』
『楽器についてですが、製作者によれば天候は回復し作業はとても順調に進んでいるとのことです!彼はあと半年もすれば完成すると請け負いました!』

マレンツィオ氏が宮廷音楽家として勤めていたのが後の時代にストラディヴァリ・セットを注文するメディチ家であったことなどを知っているとなんだか史実としてもありえそうな面白いお話ですが実はこの”事件”はあながち荒唐無稽とも言いきれないのです。
この記事を丹念に読んでいただいた読者の方なら先ほどオイルニスの組成の項で「硬化促進剤」と書かれているのに気付いたことと思います、そして同時に「そんな便利なものがあるならそれをたくさん入れればいいんじゃないの?」という点にも気づかれたことと思います。

確かに現在市販されている業務用のオイルニスにはオプションとして硬化促進剤が設定されていたり最初から入っていたりします。
しかしケンブリッジ大学でアマーティ・ストラディヴァリ・ゴフリラー等のニスを電子顕微鏡で観察し、ニスに含まれる金属成分の分布を調査した論文[*3]によると同時代に絵画業界で用いられていた乾性油の硬化促進剤である鉛成分はストラディヴァリのニスに於いてはごく微量、ゴフリラーのニスに至っては全く検出されなかったのです。

[*3](University of Cambridge, 1989, C.Y.Barlow and J.Woodhouse)

7.伝統を守るための不自由さ
これらの研究に従えば伝統的なオイルニスを使って楽器を仕上げようとする製作者は現代の便利な薬品(コバルト・マンガン・亜鉛など)の使用が制限されるわけですが、完成を待ってくれているお客さんに「天気が悪いのでニスが乾きません」とはなかなか言いづらい現状もあります。
伝統的な処方のニスで実用に耐える硬さを得るために1年間も待たなくてもよいようにと考え出されたのが先の紫外線ランプを用いた乾燥室という方法ですのでこの方法を用いた製作者の話を聞いても「変な事をしている人だ!」と早合点せずにこれらの事情をご理解いただくようお願いします。

終わりに
今回このコラムについて自由な内容で書いてよいというお話をいただきましたので最近考えていたニスについてのことをつらつらと書かせていただきました。
この分野では各製作者・流派ごとにさまざまな考え方がありますので本記事に書いたことが絶対に正しいと主張するような意図はありません。
また本文について割と取り留めもなく書いてしまったのでそのせいで読みにくく解りづらい文章になっていると思いますがこの点はご容赦いただきたいと思います。

最後になりますがここまで読んでいただいたことにお礼を申し上げるとともに、この記事が製作者と注文主の相互理解に僅かでもお役にたてば幸いです。

次回は11月20日更新予定です。

次回、関西弦楽器製作者協会展示会は2018年4月22日(日)です