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青い水球・地球の端にて

第16回 藤田 政信(2011.09.20)

弘法大師(空海)は熊野の海岸で洞窟に座して瞑想修行中、突如、体が大きく膨らみ洞窟を抜け出し雲を抜け、空高く天に昇りて、座禅している小さな砂のような己の姿を見て悟られたと伝えられる。
親鸞聖人は見られたのか聞かれたのか、阿弥陀仏が居られる浄土とは西方十万億土の遠方にあると教える。
その国土は金・銀・瑠璃(るり)といった美しい物で出来ており、暑くも寒くもなく苦しみもない、光り輝き、かぐわしい香りの漂う世界であり、時折り浄キヨらかなそよ風が吹いており、その風の音が妙なる音楽で、五つの音階が鳴り響いておるそうです。
その五つの音階とは「宮(キュウ)・商(ショウ)・角(カク)・微(チ)・羽(ウ)」という音名が付いていて、西洋音楽でいうと「ド・レ・ミ・ソ・ラ」といった音階です。
ドの音とレの音を同時に流すのは不協和音となりますが、浄土では宮(ド)・商(レ)が自然で調和する世界だと説かれ。

”神々の祝宴”/ヘンドリック・ファン・バーレン”神々の祝宴”/ヘンドリック・ファン・バーレン

浄土では宝樹や羅綱(らもう、宝樹でつづった美しい綱)の間を吹く凪が微妙な音楽を奏でて、たとえば百・千種の音楽(楽団)を同時に奏でているようなもので、たくさんのオーケストラが違った音楽を一斉に演奏しますと、とても騒々しくて聞いていられませんが、浄土では決して不快でなく完全に調和しているのだと。
不協和音を不協和にしない絶対調和の世界が浄土なのだ「宮・商・和して自然なり」と親鸞聖人は教えた。
思えば人間は一人一人考えが違うように、国々・民族間でも同じ思想・考えはなく残念ながら相互に相手の理解を深めずに対立しております。
同じ人類として思想の違いを超え協和してゆく道はないものでしょうか。
各国々・各民族とも音楽と言う純粋なジャンルの芸術を大昔より持っておられ、思想・考えが違っても音が発する、共通の音楽が自然に世界の人々が調和する道導べになれたら良いのではと。

そんな音楽に関して論語の中で、孔子様は斉の国に滞在中、古代の聖天子の徳を歌った韶(ショウ)の楽を聞かれ、三カ月の間感激のあまり、どんな美味しい料理(肉料理と聞く)を食べても味が解らなかった「まったく予期しなかったことだね、音楽がここまで行き付けるとは」と言われたと伝える。音楽は素晴らしい、人を共通の感激の輪に引き入れる事が出来るのだから。
そんな孔子様にも感激を与えた音楽を奏でる人も、その音を出す楽器も素晴らしいものでなければ人々に感動を与えられない。

聞いてください、東洋人の私が孔子様も感激した音を出す楽器の一つの西洋の楽器(バイオリン属)を製作しているのですよ、音を出す楽器は東洋も西洋も無い、ただ良い音を出せれば良いのだと。
子(孔子様)日わく、これを知る者は値、これを好む者に如かり、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
物事を理解する人は、これを愛好する者にはかなわない、愛好する人は、楽しんで一体となっている人にはかなわない。

”ヴィオールのレッスン”/カスパール・ネッシェル”ヴィオールのレッスン”/カスパール・ネッシェル

知っていると言うだけでは、好きでやっている者には勝てない、好きでやっている者でも、楽しんでやっている者には及ばない。(同じ事三回も、しつこいかな)
これは学問への教えでありますが物作りにも当てはまるのでは、私は作るのが好きでバイオリン属を製作しておりましたが、これからは楽しんで作って行けるようになりたいと思う。
60才を過ぎた今は、(あなたの趣味)と言われながらバイオリンを作り、今回の地震に会われた人達の苦労を思いつつ、この青い地球の端こで懸命に生きています。

次回は10月5日更新予定です。