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私が目指している楽器(外観編)

第162回 菊田 浩(2018.07.05)

今年2月、ジオ・バッタ・モラッシー氏が急逝され、世界中に深い悲しみが広がりました。
私にとっても、ヴァイオリン製作を志した時からの大きな目標でしたので、悲しみとともに、強い喪失感を感じることとなりました。
そして、モラッシー氏の逝去をきっかけに、自分が目指す楽器とはどういうものなのか?とあらためて考えることとなりましたので、私的な内容ですが、今回のコラムのテーマとして書かせていただきます。

私自身、早いもので、2001年からクレモナで修行を始めて17年が過ぎましたが、そもそも私が楽器製作を始めたのはクレモナに渡る5年前の1996年、35歳の時で、手始めに東京の製作教室に通ったものの、先生自身が独学で修行したような人で、本格的な楽器製作を勉強できず、残念な思いの日々でした。

日本で製作を開始した1996年頃日本で製作を開始した1996年頃

そんな頃、関西弦楽器製作者協会の創設者で、初代会長である岩井孝夫氏がクレモナから帰国、製作学校を開設されるとともに、ヴァイオリン製作ビデオを発売されたことを知り、早速購入しました。
岩井さんはマエストロ・モラッシーの直弟子ですので、このビデオで勉強すれば、岩井さんを通じて、現代のクレモナの製作方法を勉強できると思ったからです。

ヴァイオリン製作ビデオの1シーンヴァイオリン製作ビデオの1シーン

それ以降、会社を辞めてクレモナに渡るまでの5年間、そのビデオが私の師匠となりました。
岩井さんのビデオを毎日のように見ながら勉強していくうちに、どこか人間的で温かみを感じる製作方法に強く惹かれて、いつかクレモナでヴァイオリン製作をしたいと思うようになりましたが、まだまだ現実的ではありませんでした。

1999年に初めてクレモナに旅行したときに、モラッシー氏の工房を恐る恐る訪ねましたが、とても温かく迎えていただけたことで、クレモナが今までより身近に感じられたことと、クレモナの製作方法を間近に見て、ここで勉強したいという思いがさらに深まりました。
   
1999年、マエストロ・モラッシーとシメオネさん、弟子のステファーニャさんとともに1999年、マエストロ・モラッシーとシメオネさん、弟子のステファーニャさんとともに

また、その頃、ニコラ・ラザーリ氏の楽器に出会い、その美しさに衝撃を受けました。
精密に作られていても冷たい感じがせず、柔らかい美しさの中に力強い柱が感じられるような、完璧な美しさを持った楽器に思えました。
このような楽器を製作するには本人に習うしか道はないと思い、クレモナに渡る決断となりました。

クレモナに渡って数年後、幸運にもラザーリ氏に弟子入りすることができましたが、ラザーリ氏もモラッシー氏の弟子なので、製作方法が岩井さんのビデオと共通点が多く、日本でビデオを見ながら学んだことがとても役立ちました。
なので、現在も、基本的には20年前に岩井さんのビデオで学んだ通りの方法で製作をしています。
とてもシンプルで感覚的な製作方法なのですが、私と相性が良かったのだと思いますし、最初にビデオを見て引き込まれた直感に導かれてクレモナまで来た決断は間違っていなかったという気がしています。
   
2004年、ラザーリ氏の下で修業時代2004年、ラザーリ氏の下で修業時代

さて、20年間勤めた会社を辞めて、クレモナでヴァイオリン製作を始めたとき、何やら大きなテーマを抱いて留学したように思った人もいたようですが(例えば、ストラディバリの秘密を解明するとか、科学的に理想の楽器を研究するとか)、でも、今まで書いたように、私がイタリアに渡った理由はシンプルで、ラザーリ氏のような美しいヴァイオリンを作りたいという、それだけの理由でした。
ですが、目標がシンプルだったことで、全力をその一点に注ぐことができたことは、今思うと良かったのだと思っています。

現在も、その目標は変わることなく製作している毎日ですが、もちろん、上手くコピーができればそれで良いというものではなく、モラッシー氏やラザーリ氏が何を美しいと感じるかという感性、センスを「共通の言語」として身に付けることが大切で(それがもっとも難しいのですが)、その後は、同じ道筋を歩みながら、独立した製作家として、個性を持った楽器を製作することが重要だと思っています。

ただ、オリジナルモデルを研究して世に出したいという欲求は、特にありません。
良い楽器を目指して製作していれば、どんなモデルであっても、自然にオリジナリティは出てくるものですし、それが本物の個性だと思っています。

また、楽器というのは、製作者の人生感、生き様、ものの考え方などがストレートに反映されるものだと思っています。
作品は自分の分身とも言えますので、やり甲斐のある仕事ですが、ヴァイオリンは長生きですので、自分が死んだ後も生き続けることを思うと、とても怖い仕事でもあります。

と、ここまで書いてきましたが、私が具体的にどのような楽器製作に惹かれ、どのようなヴァイオリンを目指しているのか、文章で明確に説明することはとても難しいです。
やはり「百聞は一見にしかず」ですので、機会がありましたら、ぜひ、師匠のニコラ・ラザーリ氏の楽器をご覧いただき、そして、さらに機会がありましたら、私の楽器もご覧いただいて、「なかなか頑張っているな」と感じていただければ、とても嬉しいです。

現実的には、モラッシー氏は言うに及ばず、ラザーリ師匠、そして岩井さんのような大先輩への道のりは遠く長いことを実感する日々ですが、これからも、初心に忠実に、良い楽器を目指して精進していきたいと思っています。

尚、文中の表現は、楽器の見た目、外観に絞っての内容となっております。
もちろん楽器ですので、音の大切さは言うまでもなく、日々研究しておりますが、外観についても、会社を辞める動機になるくらいの重要性を持って製作しておりますので、あえて、外観に絞っての文章としてみました。
音への取り組みは、また別の機会に書いてみたいと思っております。