楽器製作者による連載コラム : 関西弦楽器製作者協会

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<第31回>中林弦

2012-5-05 発行

10年経ちました

しかしまぁ、、、、10年というのはあっという間の出来事でした。
始めた当初はまさかこんなに飯を食っていくのが大変になるとも思わず100パーセント夢を見ながらのスタートでしたが。

実際に長く続けてみると四方八方からいろいろな障害(とても高い壁)が僕の前に立ちふさがってなかなか素直に前にすすませてもらえません、、、、。
考えてみれば高校生の時はどうしたら楽して生きていけるのだろうと考え続けて遊んでいたので、その時から比べればだいぶマシな人間になっているのではないかと思います。

楽器で飯を食っていこうと思い始めてから2択しかかんがえていません(このまま投げずに製作者として生きていくか、、、もしくは自分に負けて橋の下に行くか。)
いろいろな人から様々なフォローをうけてギリギリ橋の下には行っていませんが、貧乏しても自分のやりたい事をしたら良いと親父が言ってくれているのでこのままつずけていきます。

少しづつですが疑問に思っていた事がようやく解決できるようになり、それが快感となって次のステップに早く近づきたいと思えるとても良いサイクルが自分のなかに生まれているので僕はきっと成功します。

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第4回展示会出展作品

——次回は5月20日更新予定です。——

<第30回>城戸信行

2012-4-20 発行

バイオリン工房ができるまで。

CIMG1475.jpg我が家はもともと三味線屋でした。今も三味線屋として営業しておりますが。
そのお店の半分をバイオリン工房に改装することになりました。



3月で会社を退社するも決まり、店の改装の日程も決まり、4月の半ばあたりにめでたく工房オープン・・・と思っていたところ、3月11日に東日本大震災がおこりました。
大変な地震と津波でほんとうに被災された方には謹んでお見舞い申し上げます。

大震災の影響で、関西のほうにも、資材が入って来ない・・・コンパネのほとんどは福島で生産されているらしく、資材がない・・・とゆうことで工事が始められませんでした。
4月の半ばあたりにやっと資材が入って来るようになりましたが、今までストップしていた工事がいっせいに始まりだすと、次は大工さんが集まらない。
なかなか工事が進みませんでした。

MA330175.jpgそんな中でまずは店の半分を解体するところからでした。
店の中は埃まみれで、解体の騒音もすごく、半分だけ解体するのは大変でした。
解体も無事おわり、次に改装工事が始まりましたが、会社も退社してしまいましたので、やることがない・・・。
どうしようかと思っていると、業者さんが、「セットアップの仕事するか〜」と仕事を持って来てくれたり、地方の楽器屋さんが修理を送ってくれたり、展示会に呼んでくれたりと、ほんとうにみなさんの優しさに感謝しております。

そして6月の半ばあたりにやっと工房をオープンすることが出来ました。みなさま神戸に遊びに来た際はぜひ遊びにきてください。

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——次回は5月5日更新予定です。——

<第29回>清水陽太

2012-4-05 発行

調和

 様々なところで見聞きする単語である。
ハーモニーというカタカナでもよくでてくる。この言葉を聞いて人は何を連想するのだろうか?

クラシック音楽を愛される方々はヴィヴァルディやプッチーニが思い浮かぶだろうか。他にも様々な分野でこの調和という言葉は使われていると思うので他にもたくさんの連想されるものがあることだろう。
ついでに言うと「調和を重んじる国民性」と言われる我々日本人の文化を表す時に用いる“和風”にもこの“和”という文字があることは興味深い。

少しだけ考えてみると日本文化の動的均衡の穏やかさが“和”なのではないか。人工的な美しさを避け自然をそのまま持ち込もうとした日本庭園もまた、和を重んじた先達の美意識にある調和だったのだろう。反対にヨーロッパの庭園は製図法によってデザインされ、洗練された種類の違う美意識によって作られ、その動的均衡は大きな動きの中にまとまっているように感じる。
どちらも調和していることに変りはないが“何が”ということはすこし違いがあるのかも知れない。そして“動き“が大きく違うのではないかと思う。

 私がこの“調和“ということを大きく意識し始めていたのはクレモナの製作学校の学生の頃で、それからは常に頭の片隅にある。具体的には楽器作りにおけるそれで、当時線の統一感という概念をマエストロから教わり自分の楽器を作りながら考え続けている。
当時からすれば経験値は上がったが、これは完結するものではないと思っている。本当に難しい。頭で考えても答えは出ないので実際に手を動かしながら見ていく。当時はさっぱり分からず(見えてこず)あれこれ考えて色んな楽器を見て悩んでいた。

それの答え、もしくは解かるためのヒントがほしくて討論会や学会にもよく足を運んだ。2002年に行われた弦楽器製作者の討論会に参加した折、ある製作者の言葉に愕然とし此処に答えがあったと思い喜んだ直後、より深い迷路に解き放たれた。そして複雑な充実感と“なんて完璧でずるい言葉“という印象をかかえて帰路に就いたことを今でもよく覚えている。

その言葉とは”Liuteria è armonia” 日本語にすると“楽器作りとは調和である”。となるだろうか。線の統一感という概念が、調和という言葉を聞いたときにピカーンと閃きわかった気になった。実際には先述したように手を動かしていくしかないことは解かっているのだが第2ヒントがほしくて仕方なかったのでうれしかった。しかし直後に気がつく。調和はあくまでキーワードということに。

 私がずっと悩んでいたことは、いわば外観面に大きく影響することで、音響面でのことではない。もちろん音響的なことも考えてはいたが、それよりも目下の課題とされていることはそれではなかった。音響面においても、というよりもむしろそちらのほうが重要事項だろう。
あぁ、ここにもアルモニーア(伊語で調和の意)という言葉がぴったりと意味の薄い模範解答を示している。弓で弦を擦り如何に上手く楽器を振動させ、空気の振動に変えるという一連の作業を完結させるかということ。この単語はその難題を一言ですべてを言いくるめてしまう。

様々な研究、特に数学的アプローチからのヴァイオリン研究にはこのキーワードは大きな意味を持つのだと思う。が、それだけではさっぱり?である。問題はどのように調和させるかを決定する美意識なのではないだろうか。

楽音の調和への美意識は奏者のものであり楽器を作る側の問題ではないので如何にそれを容易にできる道具に仕立てられるかということが音響的な意味での製作者としての仕事であると思う。この二つの調和を意識しながら平素楽器製作にいそしんでいる。最近は“音に入れる”という新しいキーワードも加わった。

 私にとって、とても有り難かったのはこの意識を気づかせてくれたわが師匠達の教えが「俺はこうするけどね」の“けど”にあり、決して“こうするんだ”と表現しなかったということ。
また私の感覚を見抜き、いただいた助言がそれを理解するのに早いだろうと解かって与えてくれたことだと感じている。
彼らもまた、先人の美意識を理解するために、時にそれらを模倣し、吸収する努力を続けている。そんな彼らに追い付くのは至難であるが、影響を受け追随したいと思っている。

 私の作る楽器が、演奏者によって大気を震わせ聴衆の鼓膜を通じ心にまで響いたならば、先述のずるくて完璧なフレーズがとりあえず完全調和したのではないかと勝手に思っている。
また、そう在りたいなと願っている。

——次回は4月20日更新予定です。——

<第28回>笹野光昭

2012-3-20 発行

関西弦楽器展示会

早いもので、関西弦楽器製作協会の展示会も今年で4回目を迎えます。
第1回目の時、みなさん準備が大変でした。開催される当日もお客さんの入りが心配で心配で落ち着かなかった事を昨日の事のように思い出します。私が第一回目から参加した理由は、製作者の一人として関西で頑張っている弦楽器製作者の人達の為に何かお手伝いが出来ないかと思ったからでした。

展示会も盛況になり、そろそろ私のお手伝いも一段落ついたのかなと感じます。日本に行くのは年一回と決めたので来年以降の出展は東京の弦楽器フェアだけになります。
今年の出展が最後になりますが、またお邪魔する事があるかもしれません。その時は関西の皆さま、また暖かく迎えて下さい。

Au revoir

——次回は4月5日更新予定です。——

<第27回>馬戸崇之

2012-3-5 発行

とある休日

今回 、久々に時間が出来たので釣りに行ってきました( ´ ▽ ` )ノ

image3.jpeg天気はあいにくの曇り空 。雨じゃ無いだけよかったけど…笑。
自宅から車をとばして高速道路つかって15分!めっちゃ近!!( ̄◇ ̄;)和歌山県 紀ノ川到着~!



image4.jpeg…しかし、もぅすでに先行者が!
当日はなかなか寒かったんですが、釣り番組とかでも紹介されてる様な有名スポットなだけに、すごい人が来てましたね!しかし、みんなあまり釣れてない様子!釣るのもかなり難しい場所なんです!(ブラックバス・ナマズ・鯉・フナなどなどが釣れます!)
大きい魚が泳いでいるのが見えるので、ついつい来てしまうのですが、…釣った事はありません!(ーー;)


image.jpegどうしたら釣れるのか魚の気持ちになって考え、手を変え、品を変え・・・まあ結局、この日も釣れなかったんですけどね(^ ^)
釣りは10年位前 、高校生の時に友人に連れられて行ったのが運の尽きでした(⌒▽⌒)!釣れた時の感覚が忘れられず、ハマってしまいました!自然の中でいい気分転換にもなります(^ ^)皆さんも始めてみては⁉♪( ´▽`)
ではでは皆さん良い週末を(^_-)


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★「もし釣りが仕事の妨げになるのなら、仕事の方をあきらめなさい。」

      スパース・グレイ・ハックル

——次回は3月20日更新予定です。——

<第26回>陳昌鉉

2012-2-20 発行

展示会に寄せて

我工房では修理や調整で見えたプロの演奏家に作り立ての自作バイオリンを試奏して貰い、音・ニスの質感・作りを批評して貰う機会が度々ある。17、8世紀のクレモナでも名人ストラディバリやガルネリは同時のプロの奏者や教会での演奏会で度々批評して貰った記録は今でも残っている。私共の職業は相手があっての仕事、一人よがりは通らない。

相対的にプロの奏者の眼力と経験が肥えている。オケの仲間や来日するソリストの名器を直接見る機会にも恵まれている。云える事はプロと素人の違いはバイオリンを見る視点とポイントに於いて可成りの差がある。素人好みとはニスや音の内面の充実さよりも表面的なものに左右され易い。その為少々音質がシャーシャーしても耳元で音量が感じられれば、また少々やかましく感じられても音量があるものとして勘違いする場合もある。

私の工房に調整に見えたお客さんで100年前に作られた楽器でもシャーシャーして表面なりする楽器を私が魂柱・駒を整えたり調整してやっとシャーシャーが止まった事例もある。素人にとって留意すべきは選択する時点が正念場である。買って10年弾き込んだり、なじんだり.経年変化すればシャーシャーが止まるとは物理的法則にも反する。

1 プロが選ぶニスについて

プロは概して高価なオールドの楽器を持っている事もあって度々楽器を買い替える人は少ない。又ニスを判断する目も肥えている。日頃からクラッシックを演奏する機会が多い事もあってクラシックの楽想と調和しやすい色合いや渋い重厚感のある質感を求める。結い色が単色でなく、黄色・オレンジ・ピンク・赤茶と重層した色の変化と光の屈折に敏感な透明性の高いニスを好む。私はこれを夕焼け空や秋の紅葉の色を範にしたルネッサンス色と解釈する。

2 プロが選ぶ音質と音響効果

人によって音の好みは千差万別とは云え人類の芸術には普遍性なる共感出来る価値観がある。本当に真なるものは時間と空間を超えて万人に共有出来る要素を具備している。プロはそう云った普遍性に近い音を好む。先ず音質はやわらかく、きめ細かくて、丸く、充実して深鳴りして良く音抜けする。そしてD、Gは深く暖かく、E,Aはさえざえとして澄んで、甘く、きらきら輝く音、そして四弦のハイポジションが楽に抜け、レスポンス(音の立ち上がり)が敏感でパワーと音量のあるバイオリンを好む。

今年の展示会に御来場の際は以上の観点を参考にして私の作品を御評価くだされば幸いです。

——次回は3月5日更新予定です。——

<第25回>陳昌鼓

2012-2-5 発行

日々邁進

コラム掲載の一筆は楽器製作とは違った意味で心地良い緊張感があるものです。

さて、私、今年から以前からお客様からのお声もあり分数楽器(3/4サイズからですが)を手がけ始めました。フルサイズの製作とは違う別物だと考え、試行錯誤の日々。ひらめきが実を結ぶ様に結果幸いですが良い評価を頂いております。
胸を撫で下ろす一場面をご想像ください!この分数楽器の経験が新たに製作技術をもう一度ふりだしに戻し一から考え方をみがき直す。まさに、感覚の心機一転となりました。
4月の展示会へむけて新たなスタート地点におりますが今回の作品が良い評価を期待する一方で自身の楽器を多数の方々に愛好して頂けるようにお客様の皆様にアピールして行かなければならないと考えております。

“一弦の響きが水面に広がる水輪の様に”日々考えている今年のテーマです。

——次回は2月20日更新予定です。——

<第24回>藤井勉

2012-1-20 発行

半分以上が過ぎました

皆さんこんにちは、早いもので1月の下旬になってしまいました。50歳を過ぎると時間の加速に拍車が掛かった感じがします。それで少しでも遅らすために、弦楽器職人の道に入った頃を思い出してみます。

P1110404_resized.jpg器のコレクションA私は、高校を卒業後、特に就職を意識することもなく、色々なアルバイトをしていました。飛行場、民宿、瀬戸物工場、その他です。当時は、中村雅俊の「俺たちの旅」が、放送された後であり、進学、就職と云うコースを外れても良いのではないかと云う生き方が、表に出てきた時代だと思います(勿論それまでも、そう云う生き方は有ったはずですが、堂々とはしにくい空気が在ったと思われます)。そのような生き方をする人を、モラトリアム人間とか、フリーター、素浪人と呼ばれ、一つの形態を作っていました。一部にプーターと云う呼び方も在りましたが、私たちの美学の外のものでした。 

そんなアルバイト生活を2年程過ごしたある日、NHKテレビで、「川の流れはバイオリンの音」と云うドラマを観ました。栄子という女性が、バイオリンのケースに、ピアノ調律の道具を入れて、ヨーロッパを旅する物語です。色々な職業の人と知り会い、ポー川周辺ではバイオリン職人にも出会い、ポー川の川面にできる渦からネックの渦巻きが出来たのかも?と云うシーンもありました。しかし、このドラマを観て、バイオリンではなく、ピアノ調律と云う、音楽に係わる仕事が在ることを知り、それまでは、就職を意識していなかったのですが、その日、初めて就職情報誌を買い、その中に、楽器輸入商 丸一商店が、載っていたのです。
P1120408_resized.jpg器のコレクションBそこには、バイオリンの渦巻きが、大きく映っていましたが、下に小さくピアノと云う文字を見付け、調律師になれると思い、入社しました。しかし、実際は、調律師ではなく、バイオリン職人だったのですが、何の疑問も抵抗もなく受け入れ、良い先生の指導を受け、沢山の楽器を修理させていただき、今の自分が在ると感謝しています。そしてその後独立し、工房を営んでいます。

P1120407_resized.jpgオーナー の戸村さん(中央)とスタッフの方々工房には、楽器や附属品が、多く在るものですが、うちは額や器のほうが、充実しています。器は、近所のギャラリーアートボックスさんで揃えていたのですが、この1月12日で閉廊されました。オーナーの戸村さんは「24年もやったし、60も半ばになったから、そろそろ休んでも良いでしょう。」とおっしゃっていました。長い間、お世話になり、ありがとうございました。

P1120405_resized.jpg献血で貰ったミニカー話は変わりますが、去年20年ぶりぐらいに400cc献血をしました。が、少ししんどくなったので、伝えると、血圧が下がっているとの事で、何と点滴されてしまいました。こんな事あるんですね。まあ、輸血では無くて良かったですが・・・。

長々と書きましたが、お付き合いありがとうございました。では、展示会で、お会いしましょう。

——次回は2月5日更新予定です。——

<第23回>東義教

2012-1-5 発行

私もがんばります。

新年あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろありました、
うれしいことかなしいことぜんぶまとめてガンバロウ日本。
本年もよろしくお願いします。

DSC_0033.jpg平等院鳳凰堂こんにちは、東義教です。
京都は宇治市でコントラバスを製作しています、私の場合製造?生産?まあ、いいや。
宇治市と言えば宇治茶、コントラバスで有名です。
他、世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社などがあります。
平等院は1052年に藤原頼通が開きました、鳳凰堂は10円玉のデザインにもなっていてあまりにも有名。
鳳凰堂の屋根には想像上の鳥である鳳凰が飾られていてこの鳳凰は一万円札に描かれています。
そんなにすごい平等院鳳凰堂は1052年やから、えっと、960年も前に建てられたものなんですよね、雨風にさらされ過酷な条件で今でも残っているのは奇跡ですよね。
コントラバスもほんとに古い物は少ないですもの、私も弦楽器製作者の端くれ、長く後世に継がれるような物を作りたいものです。

——次回は1月20日更新予定です。——

<第22回>菊田浩

2011-12-20 発行

音を記憶するということ

私がバイオリン製作を勉強するためにクレモナに留学したのは、2001年の秋でした。

写真1 ウィーン.jpg1993年 ウィーン・ニューイヤーコンサートの収録現場にてそれ以前は、NHKの録音エンジニアとして20年間勤務しました。在職中は、NHKホールやサントリーホールでのオーケストラ録音、そしてスタジオでの室内楽録音など、主にクラシック音楽番組の収録を担当していましたが、特に印象に残る仕事の一つとして、ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートの衛星生放送などもありました。
録音エンジニアとして仕事をする中で、内外の音楽家の演奏を聴く機会も多く、また、良いヴァイオリンの音を目の前で聴ける機会も頻繁にありました。

そんな中、あるきっかけから、バイオリンの魅力に惹きつけられて楽器製作の道に入ったのですが、よく人から質問されるのは、「録音の仕事で鍛えられた耳は、バイオリン製作に役立っているのではないですか?」ということです。そう聞かれるたびに、「そうですね。」、と返答しながら、「でも、本当にそういうことはあるのだろうか?」と自問自答することもありました。

写真2 ミニカンナ.jpgミニカンナによる表板のアーチ成形というのも、よく考えてみると、バイオリンの音作りに重要なアーチ成形や厚み出し作業の途中では、完成したバイオリンの音が聞こえるわけではありませんので、バイオリンの音を良く知っているかどうかは、直接的には関係ない気もするからです。では、NHK時代の経験がバイオリン製作の役に立っていないかといいますと、そうではなく、いろいろな局面で助けられていると感じることが多くあります。

写真3 スタジオ.jpg1992年頃 スタジオでの音楽録音現場にて楽器の録音をするとき、マイクの位置を数センチ動かしただけで聞こえてくる音は微妙に変化します。その音の違いを判断して、最適な位置にマイクをセットすることが、音楽録音をする際には非常に大切です。
音を聴きながら、場合によっては、マイクの位置を数段階も前の状態に戻すような判断を求められることもあるのですが、そのためには、音を正確に「記憶」していなければなりません。こうして位置を決めたマイクから出てくる音が、「商品」として全国に放送されるわけですから、責任も大きいのです。

そういう仕事を経験した中で身に付いた「音を記憶する能力」は、やはり、バイオリン製作にはとても役立っていると感じています。
たとえば、バイオリンを調整する時、主に駒や魂柱などを調整して最良の音を探すわけです。魂柱の位置を少し動かすと音が変化するのは確かなのですが、それが良い状態になったのかそうではないのか、時として判断に苦しむことがあります。
もちろん、音の価値判断は人それぞれで、「絶対的な良い音」というものは存在しないのかもしれませんが、少なくとも、「魂柱を移動する前後でどのように音が変化したのか?」を正確に把握することは、とても重要です。

写真4 魂柱.jpg魂柱をエフ字孔から挿入写真5 厚み出し.jpg表板の厚み出し工程魂柱をコンマ数ミリ動かして、バイオリンの音の変化を聴きながら最適な位置を探していく作業は、録音の際にマイクの位置を決める過程と良く似ています。両者に共通する大切なことは、「音を客観的に聴いて記憶する」という事です。
さらに、魂柱などの最終調整段階だけではなくて、製作途中の厚み出しなどの作業においても、過去に製作した楽器の音を正確に記憶できていれば、次の作品をどう削っていくか、明確な指針を立てることができるのではないかと思います。


ですが、「音を記憶する能力」が、そのまま「良い楽器を製作できる能力」に直結するかどうかは別の問題だと思います。私が今回書きましたことは、良い楽器を製作する上での一つの要素に過ぎませんし、また、音を記憶する能力を磨く方法は、録音技術に限らず様々な方法があることは言うまでもありません。

ただ、録音エンジニアとしての経験から、音を記憶することの重要性を深く認識できたことは幸運でしたし、少なからず私の製作するバイオリンの音作りに役立っていることは事実ですので、ご参考になればと思い、書かせていただきました。

私自身、今後もさらに勉強を重ねて、より良い楽器を製作していきたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。

——次回は1月5日更新予定です。——

<第21回>糟谷伸夫

2011-12-5 発行

楽器のデザインとサイズの話し

ヴァイオリンに限らず楽器は音楽を奏でる器として何らかの必然性をその体内に内包している。

最近私は日本古来の笛である篠笛や真笛を趣味として製作して楽しんでいる。その笛の中にヴァイオリンのサイズが隠れていると言ったらどう思われるだろうか。

fig1.jpg自作の唄用七孔真笛六本調子(B♭管)厳密に言うと、唄に合わせるように西洋音階を取り入れた唄用篠笛というものだが、その笛の内径を14mmほどにすると息を吹き込む唄口付近の懐から開口端までを355mmとして第4オクターブのAを出すことが可能だ。これは6本調子B♭管の製作において最も管を短くする限界の長さとなる。内径が14mmであることによって人間の手で1オクターブを塞ぎきることができるサイズへ納めることが可能となっている。


Aで調弦するヴァイオリンの胴長が355mmでありボタン部分の高さおよそ14mmであることは興味深い。笛の指孔同士の距離であるとかを含めるとヴァイオリンのサイズとの共通点をさらに発見できる。

このことから、ヴァイオリンも音程に関わるサイズがデザインに反映されているのではないかと考える。

ただ、注意点がある。
笛は本体が発音に直接的にかかわるため、デザインはすなわち音響的特徴と一致する。しかし、ヴァイオリンを始め多くのノンフレット弦楽器は音響性能が本体のデザインに直結しているとは限らない。音が出るためには弦の長さや張力が調整されればいかなる音も発音可能であるため、胴のデザインは比較的自由なのである。その中で、笛とヴァイオリンの間に共通のサイズが現れるということは、つまり、ヴァイオリンの側が物理的な音響性能や適した律を象徴的に表現する形で胴のデザインをしているのではないか、ということが言えるということを踏まえておく必要がある。


中世ヨーロッパでは基準となるAの音程が数Hz低かったといわれている。それはどのように確認できるのか。弦楽器では弦が切れてしまえば確認できない。笛は息圧や息角により音程が変化してしまう。実際は中世からある教会のパイプオルガンのAと比較するそうである。また、各地方によって音程が違うことも面白い。

弦楽器としては単独で楽器としての情報を伝えるために、基準とする音を本体のデザインに記す以外に方法はないと思われる。しかし、ラベルに442Hzと書くことはナンセンスだ。Hzという単位の失われた未来に発見されたときに対応できない。ラベルは日焼けして真っ黒になって読めなくもなる。

fig2.jpg正五角形により確認されるデザイン内の黄金比そこで、やはり基本的な幾何学的・数学的な真理をデザインに反映させたであろうことは想像に難くない。

しかし、具体的、技術的デザイン論はいまだ失われたままであり、確証のない仮説の域を出るものはない。今回はここまでの話として、遠い将来か、近い将来か、さらなる強力な仮説の登場を、私のコラムをお読みいただいた皆様とともに楽しみに待ちたいと思う。


知的生命体である人間だからこそ製作可能であったヴァイオリンの普遍性は、知的である生命の抱える矛盾を静かに美しく奏で続けているのだろう。まるで、ヨーロッパのキリスト教が言葉の中に神を見出し、ゆえにヨハネが最後の審判の訪れを確信していたように。12音階純正律が根本的な不可能性のなかで美のバランスを危うく紡ぐように。伝統的メソッドと厳格な楽譜の中から音楽が飛躍して唐突に楽しく現れる不思議のように。

ヴァイオリンは動的に生きた矛盾を見出す者だけに生々しく問いかけているのであろう。

fig3.jpg          黄金比、超越数の抱える進数と計算法の問題
         宗教的図像生命の木の新解釈等の象徴的表現

私の取りとめのない文章に最後までお目通しいただき感謝します。さらに以下を一つ付け加えさせてください。

全ては、偶然でしょうか?必然でしょうか?That is The question ! なのです。
ヴァイオリンは職人の研ぎ澄まされたセンスが絶妙なバランスを意に介さずに生み出したものなのでしょうか?親方と貴族が社交会で当時の最先端技術を盛り込んで作ったモニュメントだったのでしょうか?極端ではなく、程よくどちらもある程度偶然で、ある程度必然なのでしょうか?

完全な均衡では世界が動かないため、創造主である神は最初の一撃を加えたととある哲学者は言いました。それはピースをたった一つ外すだけで均衡を失い宇宙は流動し始める、というものでした。

今、この時代。程よく、程度の問題でなんとなく安定する世界に、そのままの姿を映すヴァイオリンが美しくそのものを表現しているように、音楽も知識も人々も今まさに輝いて、ただ在ることが素晴らしいと言える時代であると、きっとそのような答えまで確かに求められるなら、そのように得られる時代なので在りましょう。

——次回は12月20日更新予定です。——

<第20回>後藤陽一

2011-11-20 発行

私の親方

今の私があるのは親方のおかげである。当時はシンドイだけで感謝の気持ちなど・・・
24歳より始めて今年で25周年、なんだかスーパーみたいなゴロだけど本当のことだ。
当時の私が自分の仕事場に見習いに来たいと言ってもゼッタイ断るだろう。それだけ多くの失敗、失言、非常識、そんなヤツ誰が入れるもんか!

でも親方は入れてくれたのだ。「マイスターの義務だからな。」
そう親方はドイチェル ガイゲン バウ マイスター私はドイツ語など知らないけどカッコいい。
マイスターの仕事の中に、その仕事に携わる若者を育てる義務があるそうで、弟子は私の前に一人いたけどすぐやめてしまったので私が0から教えた初めてのヤツということになる様でもう少しマシな人材なら立派な職人になっていたことであろう、申し訳ない限りである。

「出来の悪い子ほど可愛い」と言われるが、私の事?
その後毎年親方が会長を務める協会の展示会の手伝いと出品で毎年会うが、何年たっても威圧感は衰える事無くバリバリである。私はこの年になっても下働きのペイペイである。なぜなら親方がそれ以上に目いっぱい皆の為に働いているからである。会うと少々胃がチクチクするが、これからも元気でいてほしいものである。
多分「君にそんな事を言われたくないヨ」  ワッハッハッ   と言うだろう。

コラム写真.jpg25年前のとても恥ずかしい写真である(中央私)

——次回は12月5日更新予定です。——

<第19回>大森琢憲

2011-11-5 発行

新作楽器のニスに起こる問題と豆知識

はじめに
どうもこんにちは。第19回のコラムを担当させていただく大森です。
今回は新作楽器の購入に於いて時に問題となりうるニスの話題について書くことにしました。昨今ではインターネット上で外国の文献を取り寄せることができたり、また日本弦楽器製作者協会理事の佐々木 朗さんがバイオリンに関する疑問や日常の手入れについての本を出版[*1]されたりしているので趣味でバイオリンを弾かれている方の知識や楽器への理解度は昔より格段に向上していますが新作の楽器にはそれに加えて特有の注意が必要になる状況もありますので僭越ながら今回コラムとして記事を載せてもらうことにしました。

[*1]弦楽器のしくみとメンテナンス 第1巻、第2巻(佐々木 朗 著:音楽之友社)

注・この記事は執筆者個人の経験を元に書かれており当協会の見解ではありません。
  また、ニスの種類や処方による優劣を論じる意図はありません。

写真1 キャプション[市販の楽器用ニスを使用した修理風景].png市販の楽器用ニスを使用した修理風景

1.新作楽器に起こる特有の変化とは
新作の楽器は一般的に楽器商で扱われているオールドの楽器とは異なり
1,弦による張力を初めて受ける
2,張力と駒・魂柱位置の兼合いによる表板・裏板の馴染み(ごく微小な変形)
3,ニスの乾燥・硬化具合による美観の変化
という製作した当人にも将来の変化を予測することが難しい点が含まれますが1と2に関して通常は購入した方が何らかの影響を与えるというよりは問題が起こった場合に製作者あるいは修理者が気づいて再度適切に調整するという流れになります。

その一方、3のニスの変化というのは「目に見える」ことから購入者の方にとっても気になるという以上に"自分の管理が悪かったのではないか"と心配になったり、"何か変なニスを実験的に塗られたのではないか"と製作者に対する不信感となったりする恐れもあります。今回のコラムでは新作のニスに起こる変化について考察していくことでこのような不安が解消できればと思います。

2.よく使われるニスの種類
個人製作の楽器に於いて使われるのはおおまかに言って「アルコールニス」と「オイルニス」の2種類です。
きわめて大雑把な理解として
[内容物]
アルコールニス=溶媒がアルコール、ニスの主体が4-5種の樹脂、着色剤としての染料・顔料
オイルニス=乾性油に硬質樹脂を溶融させた物、少量のテレピン油またはぺトロールと着色剤の顔料
[乾燥・硬化]
アルコールニスは溶媒のアルコールが揮発することにより乾燥する。
オイルニスは樹脂の固着性と乾性油が空気中の酸素と反応して膜状に変化する性質を利用している。
という点をまず覚えていただくとこれらのニスが物理的に異なる変化によって乾燥するということがご理解いただけると思います。

3.新作のニスに起きやすい問題
経験上、新作楽器のオイルニスに起こる問題の多くは「塗りたてのニスがとても柔らかい」という事が原因になると思います。
実際の症状としては肩当の当たる部分のニスがズルっとずれてしまったり、ひどい場合は楽器ケースにべっとりと貼り付いてしまったりしますが根本的にこれらを確実に防ぐ方法はありません。強いて言えばケースに収納して問題が起こる場合は楽器立てに掛けておくか、バイオリン・ビオラなら部屋の梁にピアノ線を張って吊っておくしかありません。
また楽器の地の部分が露出してしまった場合はその部分だけアルコールニスで保護したりして対処することになります。

写真2 キャプション[自作のニスを用いた下地からの修理].png自作のアルコールニスを用いた下地からの修理(途中)

4.オイルニスの製作
ニスの基本的な組成と製作法についてですが現在ではドイツのHAMMEL社の楽器用ニスが業務用として楽器店等で広く使われる一方、手工品の弦楽器に於いては各々の製作者が自らの学んだ流派の古式に則りニスを手作りしています。
関西弦楽器製作者協会の会員もそれぞれ独自にニスを製作して使用していますからその全容を記事にすることは不可能ですが一般論としてオイルニスの組成と製作法には共通する部分があります。

まず樹脂をテレピン油またはぺトロールに溶解させこれを乾性油(各種リンシードオイル)と混ぜ合わせて作りますが、この時テレピン油に溶解しない樹脂を使用したい場合は事前に過熱した乾性油に樹脂を溶かし込むという作業が必要になります。
完成したオイルニスには適宜薄め液としてテレピン油を入れたり必要であれば硬化促進剤を入れますが、これらの作業は16世紀イタリアの古典的な油絵具の作り方と同じです。実際にパリ音楽博物館で分析されたストラディヴァリのニスも原材料は乾性油と松科の樹脂であり特別な"秘密の材料"は発見されなかったと発表[*2]されています。

[*2](Paris Museum of Music, 2009, Jean-Philippe Echard)

5.オイルニスの乾燥期間と実際
バイオリンのオイルニスに於いては上記の硬化促進剤を混ぜるよりも紫外線ランプを用い温度湿度を管理した専用の乾燥室を使う方法を好む製作者もいますが、このことを説明すると時折ショックを受けたような表情になる方がいます。
それは「手作りのオイルニス」という物からイメージするAuthenticな感覚からかけ離れた、あまりに人工的で工場で作っているような乾燥方法だという印象を持たれるようです。しかしながらこれにもそうせざるをえない理由があるという点をご説明したいと思います。

先にオイルニスは乾性油が空気中の酸素と反応して硬化すると書きましたがそれには必要不可欠なものが三つあります。
それは「適度な温度、低い湿度、長い時間」の3つです。温度と湿度が時々刻々と変化するものである以上、バイオリンのニスの硬化はどうしても最後の"時間"に頼ることになります。より具体的に言えば一般的なオイルニスの指触乾燥は数日ですが初期硬化に必要な期間は約12か月です。しかもこれはあくまで初期硬化であって乾性油の表面が硬化した後もニスの底の部分は柔らかいままで完全に結晶化するまでには100年以上かかるとも考えられています。

写真3 キャプション[自作のオイルニスでアンティーク仕上げ].png自作のオイルニスでアンティーク仕上げ

6.オイルニスに関するよもやま話と現代的研究の成果、不思議な一致?
ウソかマコトか16世紀イタリアの高名な宮廷音楽家ルカ・マレンツィオ氏(Luca Marenzio,1553年-1599年)がバイオリンを注文製作したエピソードとしてこんなお話があります。

当時新進気鋭の作曲家として活躍していたマレンツィオ氏は自らの器楽曲に用いる新時代の楽器として相応しいクレモナのバイオリンに惚れ込み、宮廷楽器として発注する注文の相談を受けた時には自身の出身地であり古くから弦楽器の名産地として有名であったブレシアを差し置いて迷わずクレモナの名をあげ自ら仲介役まで買ってでたのです。
しかし、その次の年から彼は楽器の到着を首を長くして待っている注文主に対して度々手紙を送らねばなりませんでした。
『例のViolの件は私も度々製作者に手紙を出しています。彼が言うには楽器はできているが天気が悪くニスが全く乾かないとのことです。』
『例の楽器の件ですが、製作者の手紙では天気がとても悪く、あと数か月して天候がよくなれば作業も進むだろう、とのことです。』
『楽器についてですが、製作者によれば天候は回復し作業はとても順調に進んでいるとのことです!彼はあと半年もすれば完成すると請け負いました!』

マレンツィオ氏が宮廷音楽家として勤めていたのが後の時代にストラディヴァリ・セットを注文するメディチ家であったことなどを知っているとなんだか史実としてもありえそうな面白いお話ですが実はこの"事件"はあながち荒唐無稽とも言いきれないのです。
この記事を丹念に読んでいただいた読者の方なら先ほどオイルニスの組成の項で「硬化促進剤」と書かれているのに気付いたことと思います、そして同時に「そんな便利なものがあるならそれをたくさん入れればいいんじゃないの?」という点にも気づかれたことと思います。

確かに現在市販されている業務用のオイルニスにはオプションとして硬化促進剤が設定されていたり最初から入っていたりします。
しかしケンブリッジ大学でアマーティ・ストラディヴァリ・ゴフリラー等のニスを電子顕微鏡で観察し、ニスに含まれる金属成分の分布を調査した論文[*3]によると同時代に絵画業界で用いられていた乾性油の硬化促進剤である鉛成分はストラディヴァリのニスに於いてはごく微量、ゴフリラーのニスに至っては全く検出されなかったのです。

[*3](University of Cambridge, 1989, C.Y.Barlow and J.Woodhouse)

7.伝統を守るための不自由さ
これらの研究に従えば伝統的なオイルニスを使って楽器を仕上げようとする製作者は現代の便利な薬品(コバルト・マンガン・亜鉛など)の使用が制限されるわけですが、完成を待ってくれているお客さんに「天気が悪いのでニスが乾きません」とはなかなか言いづらい現状もあります。
伝統的な処方のニスで実用に耐える硬さを得るために1年間も待たなくてもよいようにと考え出されたのが先の紫外線ランプを用いた乾燥室という方法ですのでこの方法を用いた製作者の話を聞いても「変な事をしている人だ!」と早合点せずにこれらの事情をご理解いただくようお願いします。

終わりに
今回このコラムについて自由な内容で書いてよいというお話をいただきましたので最近考えていたニスについてのことをつらつらと書かせていただきました。
この分野では各製作者・流派ごとにさまざまな考え方がありますので本記事に書いたことが絶対に正しいと主張するような意図はありません。
また本文について割と取り留めもなく書いてしまったのでそのせいで読みにくく解りづらい文章になっていると思いますがこの点はご容赦いただきたいと思います。

最後になりますがここまで読んでいただいたことにお礼を申し上げるとともに、この記事が製作者と注文主の相互理解に僅かでもお役にたてば幸いです。

写真4 .png

——次回は11月20日更新予定です。——

<第18回>岸野大

2011-10-20 発行

楽器作りと建築

先日、京都を旅行する機会がありました。
この旅の一番の目玉は蹴上にあるウエスティン都ホテルの和風別館、佳水園への宿泊でした。

IMG_0243.JPG

佳水園は、東京赤坂の迎賓館改修の監修、関西では先日取り壊されてしまいましたが、そごう百貨店大阪本店の設計などを手掛けた日本近代建築の巨匠、村野藤吾氏の設計で、近代数寄屋建築の代表作とされています。

IMG_0197.JPG一階はコンクリート、二階は木造、傾斜の緩い銅板葺きの屋根は薄く軽やか な印象を与える…はい、偉そうに書きました。
ボロが出ないうちに白状しますが、僕は建築に関してまったくのシロウトです。
恥ずかしながら、建築界では相当有名な方のようですが村野氏の事もここに泊るまで知りませんでした。
実は連れが建築の仕事をしていて、宿に着く前にさんざん話を聞かされていたので、何だか良く分からないけどすごい建物に泊れるようだ…程度の気持ちでした。
そんな僕ですから、佳水園に着いてテンションの上がる連れに「どう?!」と聞かれても、「すっきりしていて綺麗な建物だけど何となく優しい感じもするかな…」などと応えるのが精いっぱいで内心は、ちょっと変わってるけど普通の和風の建物では?これがそんなにすごいの?などと有難味の無いことを考えておりました。

IMG_0317.JPG村野氏が得意としていた階段のデザインしかし、女将が用意してくださった村野氏と佳水園についての資料を読むうちに、この「すっきりしていて綺麗だけどどこか優しい」という印象がとても大事だということが分かりました。
それこそがこの建物で村野氏が目指していたことで、その実現のために建物の全体のデザインから素材、照明器具や家具の意匠など細部まで様々なこだわりが込められていました。
無駄な装飾を省く変わりに屋根の傾斜や間取り、素材の組み合わせなどを工夫し、きつい印象を与えないよう、優しい曲線や繊細で綺麗な面取りを細部に凝らす。
気がつけばこの建物のいたる所に村野氏の心配り、こだわりが感じられるようになり、すっかり村野建築のにわかファンが出来上がっていました。

IMG_0178.JPG間取り、天井、床の間などのデザインも部屋に応じて異なる住むための道具として様々な制約の下で作りながらも、作る人間のこだわりや人柄が強く込められるという点において、建築と楽器作りはどこか似ている所があると思います。

毎年、関西弦楽器製作者協会の展示会に来場いただいたお客さんから、「弾くのは好きなんだけど、詳しい楽器の知識は全然ないので、これだけ楽器があるとどこがどう違うか分からないです」という意見を頂戴します。
そんな時は分からないからと恥ずかしがらずに、せっかくの機会ですから、近くにいる職人をつかまえて、どんな所に気を配って作っていますか?何かこだわりがありますか?と聞いてみてはいかがでしょう?
きっとどの職人も色んなことを考えて、色んな工夫を凝らして楽器を作っているはずです。
作った本人の口から聞けるのですから、新しい楽器の見方、今まで気付かなかった魅力に気付けるかもしれませんよ!

——次回は11月5日更新予定です。——

<第17回>永石勇人

2011-10-5 発行

クレモナ・モンドムージカのシーズンでした!

イタリアクレモナで年に一度のbigイベント、モンドムージカ。名立たるクレモナのマエストロはもちろん、海外からも職人、ディーラー、大小メーカーなど多くのブースが立ち並ぶ楽器市です。なんといっても見所は、イタリアのフェアらしくそろぞれのブースがそれぞれに創意工夫し来る者を楽しませてくれるところではないでしょうか。多くの楽器プレーヤーでない方も、家族連れでもぐるっとまわってお土産をみつけられるようなところです。

画像 297.jpgモンドムージカ会場にて。昔、共に働いた製作家さて実際はと申しますと、今回も自分の楽器はなかったので自由に歩き回っていました。もちろんお目当ては木材のはずでしたが・・10歩あるけば知人に出会う社交の場?いまとなっては各国に散った旧友とはワインを片手に立ち話。もちろんダイレクトな情報交換も盛りだくさんです。とは言いつつ、会いたかったフランスの娘も、父親になった瘋癲(ふうてん)のドイツの彼も今年は会えませんでした。と、今年の来場者は若干少なく感じましたね。
そのほか学生時代にお世話になった師匠もブースを持っていたので挨拶に、今年はストラディヴァリの装飾チェロを復刻し展示していました。今年のイベントとしてストラディヴァリの装飾楽器の展示が市内ミュージアムでありましたので同時に装飾楽器の製作ビデオをこの新作楽器で制作したそうです。

DSCF1722.JPGストラディウ゛ァリ1709年”Greffuhle”を目の前にその後も317あるブースを3日間でグルグルとめぐり、他の製作家とのお話、工具の調達、ブランド駒の購入等など、通りがかりに今年話題の十本近くあったグァダニーニに目を向けるようなとても充実したモンドムージカでした。
肝心の材は?といわれますと、表板は今イタリアの最高級材とされるものを迷わず購入し、裏板(楓)はオーストリアの材木屋さんがみごとな木を何本か切ってきたので束でお願いいたしました。この木を使うのは何年後になることやら・・・

そしてもう一つ、ストラディヴァリ財団がこの時期に毎年贈るヴィルトゥーゾ賞にヴァイオリンの林悠介さんを選ばれ、そのコンサートが催されました。ウィーン在住の悠介さんは2010年のブレーシャのヴァイオリンコンクールで優勝され今後目のはなせないミュージシャンです。
さて、ソロ・コンサートのプログラムは:バルトークのヴァイオリン・ソナタ、イザイのソナタ5番、バッハのパルティータの2番と濃厚で緊張感のあるプログラム。バルトーク、イザイは超絶技巧の連続でヴィルトォーゾとしての力を十二分に聴かせていただきました。プログラム最後のバッハになって会場の緊張がほどかれた後、最後のシャコンヌのアルペジオが夜のミュージアムに響きわたり聴くものをその世界にいざないました。
そしてアンコールにはイタリアではなくてはならないパガニーニ。カプリース17番をサラッと弾きこなし、自分はおなかいっぱいで帰宅することができました。

画像 254.jpg林悠介さん、グァルネリをチューニングさらに翌日、イベント主催者のご好意でミュージアムに期間展示されている名器を林さんが試奏されました。楽器はストラド2本、グァルネリ・デル・ジェズ、アンドレア・グァルネリ。お気に入りはストラディウ゛ァリの1720年の“bavarian”。楽器が体にあっている、近い将来こういう楽器でのコンサートをしていけるようになりたいと言っていました。

と、こんな密に詰まった三日間、友人と久々にゆっくり夕食を楽しみ、学生時代を懐古いたしました。

——次回は10月20日更新予定です。——

<第16回>藤田政信

2011-9-20 発行

青い水球・地球の端にて


弘法大師(空海)は熊野の海岸で洞窟に座して瞑想修行中、突如、体が大きく膨らみ洞窟を抜け出し雲を抜け、空高く天に昇りて、座禅している小さな砂のような己の姿を見て悟られたと伝えられる。
親鸞聖人は見られたのか聞かれたのか、阿弥陀仏が居られる浄土とは西方十万億土の遠方にあると教える。
その国土は金・銀・瑠璃(るり)といった美しい物で出来ており、暑くも寒くもなく苦しみもない、光り輝き、かぐわしい香りの漂う世界であり、時折り浄キヨらかなそよ風が吹いており、その風の音が妙なる音楽で、五つの音階が鳴り響いておるそうです。
その五つの音階とは「宮(キュウ)・商(ショウ)・角(カク)・微(チ)・羽(ウ)」という音名が付いていて、西洋音楽でいうと「ド・レ・ミ・ソ・ラ」といった音階です。
ドの音とレの音を同時に流すのは不協和音となりますが、浄土では宮(ド)・商(レ)が自然で調和する世界だと説かれ。

神々の祝宴.jpg”神々の祝宴”/ヘンドリック・ファン・バーレン浄土では宝樹や羅綱(らもう、宝樹でつづった美しい綱)の間を吹く凪が微妙な音楽を奏でて、たとえば百・千種の音楽(楽団)を同時に奏でているようなもので、たくさんのオーケストラが違った音楽を一斉に演奏しますと、とても騒々しくて聞いていられませんが、浄土では決して不快でなく完全に調和しているのだと。
不協和音を不協和にしない絶対調和の世界が浄土なのだ「宮・商・和して自然なり」と親鸞聖人は教えた。
思えば人間は一人一人考えが違うように、国々・民族間でも同じ思想・考えはなく残念ながら相互に相手の理解を深めずに対立しております。
同じ人類として思想の違いを超え協和してゆく道はないものでしょうか。
各国々・各民族とも音楽と言う純粋なジャンルの芸術を大昔より持っておられ、思想・考えが違っても音が発する、共通の音楽が自然に世界の人々が調和する道導べになれたら良いのではと。

そんな音楽に関して論語の中で、孔子様は斉の国に滞在中、古代の聖天子の徳を歌った韶(ショウ)の楽を聞かれ、三カ月の間感激のあまり、どんな美味しい料理(肉料理と聞く)を食べても味が解らなかった「まったく予期しなかったことだね、音楽がここまで行き付けるとは」と言われたと伝える。音楽は素晴らしい、人を共通の感激の輪に引き入れる事が出来るのだから。
そんな孔子様にも感激を与えた音楽を奏でる人も、その音を出す楽器も素晴らしいものでなければ人々に感動を与えられない。

聞いてください、東洋人の私が孔子様も感激した音を出す楽器の一つの西洋の楽器(バイオリン属)を製作しているのですよ、音を出す楽器は東洋も西洋も無い、ただ良い音を出せれば良いのだと。
子(孔子様)日わく、これを知る者は値、これを好む者に如かり、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
物事を理解する人は、これを愛好する者にはかなわない、愛好する人は、楽しんで一体となっている人にはかなわない。

ヴィオールのレッスン.jpg”ヴィオールのレッスン”/カスパール・ネッシェル知っていると言うだけでは、好きでやっている者には勝てない、好きでやっている者でも、楽しんでやっている者には及ばない。(同じ事三回も、しつこいかな)
これは学問への教えでありますが物作りにも当てはまるのでは、私は作るのが好きでバイオリン属を製作しておりましたが、これからは楽しんで作って行けるようになりたいと思う。
60才を過ぎた今は、(あなたの趣味)と言われながらバイオリンを作り、今回の地震に会われた人達の苦労を思いつつ、この青い地球の端こで懸命に生きています。

——次回は10月5日更新予定です。——

<第15回>豊島継男

2011-9-5 発行

やり直し

2003年に私の2本目のチェロが出来ました。その年の春、音大の1年生に入学した東京の女学生さんにこのチェロを買って頂きました。今年6月頃その女性から電話がかかって来ました。駒の下にクラックが出来たので心配でならないと言うのです。どうもこの楽器を持って都内の楽器屋を廻っていろいろ相談をされたようですがその彼女が言うには、修理したとしても楽器の価値は低くなるので表板を新しく作り直して欲しい、と云うのです。

お話を伺って正直なところ仰天しました。実際にクラックの状態は見てみないとわからなかったのですが外見的に大きな損傷がないのならば私の多くの楽器修理の経験から申せば、ワレの接着を施し内側からパッチで補強すれば問題ない、というのが私の意見です。表板をそっくり替えてしまっては全く別の楽器になってしまいますし、それまでに馴染んで育んできた楽器の響きというものがなくなってしまいます。とは云っても お客さまからしてみれば新作のつもりで買ったのに早や修理の手を入れるなんて納得できないというのが、ご意見で表板だけ新しく作り直してほしい、と強く主張されました。

いかにもこのチェロは私が作ったものですが、販売後ホールで演奏を聴く機会がありその時の感想としてはとてもよく鳴っていたように記憶しています。ワレが生じてしまった原因は私が材料の特性を見誤って表板の厚みの加減が良くなかったか、潜在的に隠れていた材の弱いポイントだったのか、あるいはお客様の気付かなかった不注意だったのか、私はワレが起って実際に立ち会った訳ではないのでどこに原因があったのかは分かりません。起ってしまった以上はそれに対して最善の対応をするしかない、というのが楽器の製作や修理に携わる者の意見です。

IMG_1044.jpg

それにしても最初にお話を聞いて感じたのは、彼女はこのような状態になってしまった私の作ったチェロには愛着を感じていないようで、修理した楽器ではなくキズの無いものでなくてはならないというようでした。楽器に対しての考え方にはいろいろありますのでそれも一つの考え方ではありますが、私の意見としては楽器がキズや修理の痕を残しながら演奏者と経験を積み重ねてゆくというのも良い楽器を作って過程であることを演奏家の方にも理解して頂きたく思います。修理を一つもしていないストラディバリなんて存在し得ない事実を考えてみてください。

IMG_1045.jpg

最終的に彼女とこのチェロの対応について話し合いを進めましたが、結局今回は彼女意向を尊重し表板を取り替えるという事で対応することにしました。とは言ってもこの作業は演奏者の方が思っているほど簡単なものではありません。表板を新しく製作する事はともかく一番の問題はニスです。表板以外のニスは新作とはいえ約10年程エイジングされているので新しいニスとの色合いをマッチさせるのは至難。なるべく調和がとれるようやってみるつもりですが果たしてうまく行くかどうかはどんな修理の名人にも難しい課題です。

IMG_1049.jpgようやくここまでこぎつけました.IMG_0994.jpg駒の右足下に生じたクラックですが写真ではほとんど見えない?

——次回は9月20日更新予定です。——

<第14回>古川皓一

2011-8-20 発行

コーヒーとぼく

ちょっと一息、というときの飲み物にはいろいろありますが、ぼくはコーヒーが好きです。
夏でもホットコーヒーです。
kf001まめ.JPGサントス産コーヒー豆    もともと実家が喫茶店で気軽に飲むことができましたが、正直あまりおいしいとは思っていませんでした。
「こだわりのコーヒー専門店」や「自家焙煎の店」とかではなく、昭和の大衆喫茶店という感じで、30杯分くらいを一気に作っておいて注文が来たら鍋で温めるという方式でした。
コーヒーはたてた後(実際は焙煎してから)はだんだん酸化して苦味やコクが消えて酸味がきつくなって、まずくなります。

kf002ミル.JPG英国の元祖コーヒーミルの復刻版くがコーヒーをおいしいと思うようになったのはイタリアに留学していた時からです。
イタリアでコーヒーと言えば当然エスプレッソコーヒーです。 街のいたる所にあるバール(立ちのみがメインの喫茶店?)で100円前後で手早く気軽に飲める。
たまに「ちょっとすっぱいな」と感じるときもありましたが、雰囲気も含めて「バールでコーヒー」というのが好きになりました。
滞在中のアパートでも、家庭用のエスプレッソマシンで毎日3~4杯は飲んでいて、日本に帰っても同じように毎日飲もうと思っていました。
kf003ドリップ.JPG円錐型のサーバーにてドリップ中ところが日本のガスコンロでは口が大きすぎて上手く火が当たらない。
マシンをずらして置いたり網を置いたり工夫してみたけれど、いまいち火力が足りない感じ。
そういえば今まで見たイタリアのアパートの台所には必ず小さな口のコンロがありました。
あれはエスプレッソコーヒー用にあったんですね。

kf004マグカップa.jpg10年使ってるサンマリノで買ったマグカップ摂津市の実家の一角でバイオリン工房を始めてからしばらくして、近所のコーヒー豆屋さんと知り合いになりドリップコーヒーをごちそうになってエスプレッソとはまた違う美味しさにめぐり逢いました。
当時知り合ったばかりの妻が喫茶店好きだったのもあり、いろんな店に行っては味や雰囲気などに勝手な評価をつけていました。
自分で淹れるコーヒーもドリップコーヒーになり、味の好みも苦味が強いものよりも香りやコクの感じられるのがよくなってきました。
コーヒー器具もだんだんと揃ってきて、この頃は普段は豆から挽いて円錐式のサーバーでペーパードリップを。 ちょこっとエスプレッソコーヒーが飲みたいときはネスプレッソのカプセル式の機械で、と使い分けてます。
工房ではコーヒーの木を育てていて、いつか豆が収穫できたら妻と焙煎して飲もうと夢見ています。

kf04コーヒーの木.JPG

——次回は9月5日更新予定です。——

<第13回>三宅広

2011-8-5 発行

ヨゼフ・スーク氏に

ヨゼフ・スーク氏が亡くなられたという記事が先日の新聞に載っていました。
私にとっては特別な思いのある演奏家でした。
初めて氏の演奏を聴いたのは1970年代の終わりごろです。
高校の音楽の教科書に有名な演奏家として写真が載っていたのを覚えていた程度で、彼についてそれほど知っていたわけでもなかったのですが、新聞のコンサート欄を見て大阪の毎日ホールであった演奏会に一人で出かけたのです。
演奏が始まって、プログラムが進むにつれて心の中いっぱいに感動が広がっていきました。音楽が、心に染み入るように響いていて、バイオリンの音はこんなに美しいものだったのかとその時初めて思いました。

スーク演奏会A%i%7.jpg

後日、その演奏会で彼が使っていた楽器が1710年製のストラディバリウスであると聞いて、そのバイオリンを作ったストラディバリという人の名前も強く印象に残りました。
バイオリンという楽器が一人の人物の手によって作られて、そしてあんなに人を感動させる音を出しているということが何か不思議なことのように思えていました。
その後、1980年にももう一度毎日ホールで演奏会があり、直接彼の演奏を聴いたのはその2回だけでしたが、30年以上たった今でも、あの時のバイオリンの音色は心の奥に不思議なくらいに鮮明に残っています。
私がバイオリンを作るようになったのはずいぶん後になってからのことで、その当時はすぐにこれを職業にしようとか思ったわけでもありません。
長い間あの時の感動が心に残って消えなかったことが、ずっと後になってから自分をこの道に向かわせてくれたのだと思います。あの感動体験が私のバイオリン作りの原点だったのだということでしょうか。
あんな楽器を、いつの日か自分の手で作りたいという思いは今も続いています。
あの時の、ヨゼフ・スーク氏との出会いがなければ今こうしている自分はいなかっただろうと思うと、私にとってはやはり彼は特別な存在でした。
彼の演奏はもう聴けなくなりましたが、思い出すと浮かんでくるあのバイオリンの音色はこれからもずっと消えずにあると思います。
心からご冥福をお祈りします。

——次回は8月20日更新予定です。——

<第12回>鈴木公志

2011-7-20 発行

バイオリン作りのとある一日

バイオリン製作者・・・なんて聞くと「来る日も来る日もバイオリンばかり作っている人」なんてイメージでしょうか。
まぁ間違いではないですが、バイオリン以外も作ります、修理もします、こうやってコラムの原稿書いたりもします。
それに生活のスタイルも個人経営か、お店で働いているのかなどでも変わってくるので、ますます普段何をしているのか謎ですね。
そこで今回は、僕の1日の流れに沿ってバイオリン製作者の典型的(?)な日常をのぞき見て下さい。

  • 7:00
    • 起床・・・は妻のみ。僕起きられず・・・
  • 7:45
    • 妻が仕事へ。ようやくゴソゴソ起き始めます。ちなみに妻も同業者。Francesco Totoさんという製作者の下で働いています。
    • 一方僕の方はというと、家の作業場で一人で働いています。先ほどちょっと触れた営業形態の違いってやつですね。
  • 8:30  
    • 仕事に取り掛かります。
    • DSCN4729.JPG古い楽器の修理中
  • 10:30  
    • 暑い・・・あつすぎる・・・僕の仕事場は居住空間とは別れています。そこはいわゆる屋根裏部屋って感じで、夏暑く、冬寒い季節の移り変わりに正直な場所なのでした。という訳で・・・
    • DSCN4737_改.jpg鰻の寝床、暑い・・・
  • 10:45
    • 友人の工房着
    • 暑くて仕事にならないので友人の弓製作者Arturo Ponceの所に遊びに来ました。
    • 実は彼に、僕が自分で弾く用の弓を注文しているので、その途中経過を拝見に。
    • バイオリン製作者の中には自分で弓を作る方もいます。
    • 僕は弓を作らないので、アルトゥーロにわがままなオーダーをだして、僕の好みの弓を作ってもらっているのでした。出来上がりが楽しみです。
    • で、そのままコーヒーなど飲みに行きつつ・・・
    • DSCN4730.JPGアルトゥーロ
  • 11:30
    • 家に帰ってきて仕事再開。
  • 12:30
    • 妻帰宅。おっと、もう12時過ぎですね。
    • イタリアではお昼休みが2時間ほどあるので、家に食事に帰る人も多くいます。
    • お昼を食べた後は、暑さ対策として(冬でもそうですが・・)仮眠を取ります。
  • 15:00
    • はっ!寝過ごした!妻はもう仕事に行っててもういない!
    • 僕も仕事せねば・・・
  • 17:00
    • 暑い・・・あつ(以下略)
    • そういえば支払いがあったので郵便局にいかねば。と言い訳しつつ外へ。
    • 用事が済むと資料探し、という名目で本屋さんをひやかしに。
  • 18:00
    • 近所の飲み屋が開いた時間なので、食前酒を引っ掛けにいかねばなりません。
    • と、そこにアルトゥーロが!って実は午前中から約束してたんですけどね。
    • DSCN4741.JPG口開けです
  • 19:15
    • 妻仕事終わり。合流。
    • ちなみに曜日によってはこの時間帯はチェロのレッスンだったり、運動しに行ったりと、習い事タイムだったりします。
  • 20:00
    • 帰宅 あとは夕食などで1日が終わっていきます。就寝は23時位ですかね。
    • DSCN4733.JPG夜8時過ぎでもこの明るさ

って、あれ? 5時間くらいしか働いてない!
・・・まぁこういう日もあります。
そもそもまじめに働いてる日だと
起床→仕事→昼食→仕事→夕食→仕事→就寝
と一行で終わってコラムにならないじゃないですか。


いかがでしたか? バイオリン製作者の一日は?
ここまで読んで頂いてもうお気付きかもしれませんが、これが典型的な例ではないですね、きっと(いまさら)。
結局始めに言ったように、楽器製作者は個々人の差が大きすぎて一概に括りづらいです。
楽器製作を一日中やっている人、製作を教えながら作っている人、修理や調整をやりながら作っている人、様々なスタイルがあります。
でもその様々な経験の違いが個々の製作者の味となり、楽器の個性になっていくのではないでしょうか。
たくさんの製作者がいてはじめて様々な個性の楽器が選べる幸せというのがあるのかもしれません。
だからこんな僕でも製作者としての存在意義があると信じつつ、自分を励ましつつ、今日も明日も楽器を作っているのでした。
ちなみに他の日はもうちょっと働いてます。
これを見て「楽そうだから楽器作りになる」なんて言われても・・僕は責任を負いかねますのであしからず。

——次回は8月5日更新予定です。——

<第11回>篠崎渡

2011-7-5 発行

本棚の中から

バブル経済の絶頂期に中高生時代を過ごし、その埋み火がまだ熱いうちに大学生時代を過ごした僕ら団塊ジュニア世代は学習するに勉強するにしろ、今思うと、たいへん恵まれた環境で学生時代を過ごしたと思います。インターネットもブロードバンドも普及していなかったその頃、僕にとって情報源は書店やレコード店でありそこは異文化と知識にふれる場所でした。理科系だったので図書館や書店で理屈っぽい専門書や英語論文を読まなければいけず、それは僕にとって結構「苦痛」でしたが今振り返るとそれらに馴らされたのは今たいへん役に立っていると実感しています。
バカばっかりの男子高校、授業-実験-オケ-バイトの大学時代、モノ作りと流通のしくみを体感した技術系会社員、といろいろな紆余曲折を経て現在にいたる私ですが不思議な事に今にいたるまで無駄に蓄積した知識や資料は結構今役立っているのです。

そんな訳で僕の本棚にある本の中から楽器製作をするようになってよい刺激になった本を何冊か紹介したいと思います。今回紹介する本は直接ヴァイオリンの製作技術やディーリング(楽器カタログのような)モノではなく知的好奇心の延長でモノ作り、音楽観、生活観にインスピレーションが得られるかな、と思える書籍です。興味を持たれ共感できるかたがいらっしゃれば幸いに思います。すべて日本語(あるいは日本語訳)で書かれた書籍に限定したのでAmazon.co.jpなどで書評も簡単に検索できます。


51GE5VmLNgL._SL500_AA300_.jpg黄金分割-ピラミッドからル・コルビジュまで

柳 亮 著 美術出版社
最近でこそ楽器のデザインに幾何学的デザインルールの応用や調和比率を用いた解析をする事が注目されてきましたが、ヴァイオリンのみならず絵画、建築、デザインは洋の東西、時代を問わず「調和」を得られるよう設計されていたということを例示しながら説明しています。黄金比、フィボナッチ数、調和比率に関する書物は現在多く出版されていますが、この本は、学術的でちょっと難しいのですが、その先駆で初版より46年を経ていますが重版を続けています。この本を読んでから絵画や建築についての興味や見方が変わったとおもいます。
高校の頃、僕が何も知らずに学習させられたフィボナッチ数列の漸化式の求め方は今こんな所で役立っています。


音律と音階の科学.jpg音律と音階の科学

小方 厚 著 講談社ブルーバックス新書
自分で音程を作るヴィオラという楽器を弾き始めてからずーっと考えていた「正しい音程を取る」という問題に解答を出してくれたのは古典調律を知るきっかけになった古楽の世界でした。近年の古楽ブームで古典音律についての関心が高まり音律、音階についての関連書籍も多く出版されるようになりましたが、この本は理科系学生におなじみの講談社ブルーバックスからの出版で音程、音律、そして聴覚、音律理論の応用や発展例までとてもコンパクトにまとめてあります。お陰で最近は理論と実践を元にヴァイオリンやヴィオラはもとより、ルネッサンス・リュートまでいい感じに調弦できるようになったのは恥ずかしながら結構最近のことです。
古楽やその歴史的な書籍へのアプローチはヴァオリンという「バロックを代表する楽器」と西洋音楽の本質への理解深めてくれました。


木とつきあう智恵.jpg木とつきあう智恵

エルヴィン トーマ 著、 宮下 智恵子 翻訳 地湧社
著者はオーストリア、チロル地方に伝わる「冬の新月の時期に伐った木は良質で長持ちする」という樵(きこり)の伝承を実践し紹介しています。
「新月の木」Moon woodという言葉を楽器用材木屋が盛んに使い始めたのは2000年代はじめの頃のようで、木を伐採するのに適した時期や方法についてさかんに論じるようになったのとこの本の出版時期は一致しています。木材の取り扱いについて驚くべき先人の知恵と効率化された現代社会においてその見直しが行われていることを垣間みる一冊。
ヨーロッパ文化の底力は職人仕事を人々に啓蒙させながら認知されてそれが活かされしぶとく今日に伝わっている点だと思います。


視覚でとらえるフォトサイエンス化学図録.jpg視覚でとらえるフォトサイエンス化学図録

数研出版編集部 数研出版
いわゆる高校の化学の授業の副読本です。ミラノの弦楽器製作学校では化学/物理授業がありその復習と科学用語の習得のために高校生時代を振り返って調達したのですが、最近の図録は実生活への応用例や最先端の研究にふれての記事もあってたいへん充実しています。驚くべき事はヴァイオリンの塗装に使う染料、顔料、天然樹脂や薬品についても書かれていていることです。この本をイタリア人教師に見せたところ日本の高校化学の授業の充実に驚いていました。実験の方法/様子や化学の法則についてわかり易く写真が表示されていて薬品のデータシートもついて定価800円(税抜)は超格安です(現在は同書[改訂版]が流通しているようです)。
弦楽器製作に必要な物理、化学、数学や世界史(この同様の資料集も役立ちました)についての知識は日本の高校までの学習で十分で、いまでも日本の学校教育の内容は十分レベルの高いものだと思います。


バール、コーヒー、イタリア人.jpgバール、コーヒー、イタリア人―グローバル化もなんのその

島村 菜津 著 光文社新書
楽器製作を勉強しにイタリアに生活してみて一番感じたのは、この国はどうしてこれで生活が成り立っているのか?ということ。
働いている人がほとんどいないだだっ広い畑でなぜ農業が成り立つのか?サマータイムに入って3ヶ月経っても時計が冬時間のまま修正されないのはなぜか?なぜいつまでたっても(電球が切れていて)青にならない信号が放置されているのか?・・・など。バールとコーヒー文化もその一つ。イタリアでは個人経営のバールが都会でもド田舎でも街角には必ず存在し、スターバックスのようなフランチャイズカフェ店が出店できないという事実を僕は肯定的に捉えたい。
本音と建前、表とウラ事情を持っているのは日本もイタリアも同じだと思うが、イタリア人の生活感へのこだわりと変化に対応する機敏さは震災、原発災を経験した我々は学ぶべき所が多いと思います。イタリア(人)を語る書籍は他にもありますが、彼らの行動、習慣を観察し考察するのは今でもいい刺激になります。彼らのように必要以上にがんばらないで生活するライフスタイルをめざすのもよいのでは?

——次回は7月20日更新予定です。——

<第10回>高田博史

2011-6-20 発行

バイオリン職人の休日

皆様はじめまして。
今回のコラムを担当させて頂くことになりました、京都嵐山にて仕事をさせて頂いております「TAKADA弦楽器工房」の高田です。

他の会員の方々が楽器についてのお話しをされていますので、今回はバイオリン職人が休日に何をしているのかをお話しさせていただきます。

日本ではモータースポーツ、とりわけ2輪はあまり取り上げられることはありませんが、クラシック音楽と同じくヨーロッパでは盛んでモータースポーツの世間一般における認知度も日本より数段高いです。

_TO21744-11.jpgコーナーで車体を傾けた時に膝を地面に擦るのは自分が今どれぐらい車体を傾けているのかを探るセンサーの役割をしています。

私は10代の頃にずっとバイクに乗っていて、20代に入って車に乗るようになりバイクから遠ざかっていたのですが30歳目前にしてふとしたことからまたバイクに乗るようになり気付いたらサーキットを全開走行していました。
サーキット以外にもお客さん達とあちこちにツーリングに行ったりオフロードバイクで山に登ったりと、とても充実したバイクライフを送っています。

なぜバイクなのか?と思われる方もおられると思いますが、技術だけでもセンスだけでも駄目なところやギリギリのところでの正確な判断が必要なところなどバイオリンを作る上での共通点も多々あります。
意外に思われるかもしれませんが、職人の方達でモータースポーツが好きな方は結構多くて私の師匠の岩井さんも出会った時から今でもずっとバイクに乗っておられます。
腕一本が命の職人仕事に就いていて最もリスキーな趣味であることは重々承知していますが、私にとってより良いバイオリンを作るためには必要な要素のひとつです。
_TO28823-2.jpgサーキットで走った次の日は全身筋肉痛でガタガタになります。
2輪レースの最高峰「モトGP」では現在、イタリア人ライダーのバレンティーノ・ロッシが圧倒的な強さを誇っていて史上最強のチャンピオンの名を欲しいままにしています。
偶然にも私は彼と年齢が同じで、自分の中で彼が現役で第一線で走っている間は自分も走ろうと決めています。
自分の限界の領域に到達するためには必然的に無駄なものを排除しなければならず、結果として純度の高いものだけが残ります。
それはバイオリン製作も同じで、元来怠け性の自分にもっとストイックさを身につけるためにも大いに役立っています。

017.JPG鈴鹿サーキットピットロードにて。ホームストレートでは時速250キロに達します。



じつは最近よく一緒にサーキットに走りにいっているお客さんの大学生の子達とパートナーを組んで、来年の鈴鹿4時間耐久レースに出場する予定をしています。
自分の店の名前をいれたバイクで走るので、店の宣伝にもなって一石二鳥です。
もちろんレースを見てバイオリンを買いに来る人はいないでしょうが、今までにバイオリン屋のスポンサードのバイクがレースに出る(しかもそこの職人がライダー)なんて前代未聞ですので話しのネタ的にこれ以上ないだろうと関西人の血が騒ぎまくっております。

モータースポーツが好きな方がおられたら是非来年の鈴鹿4耐に応援に来てください!

——次回は7月5日更新予定です。——

<第9回>杉本有三

2011-6-5 発行

皆様よろしくお願いします

昭和54年の6月 朝刊の求人欄を見た日から私と仕事の関わりが始まりました。音楽にまつわる仕事ができたらいいなと安易な考えだった私は当時20歳。
求人欄の「ピアノ・ハープ」に目がとまり「バイオリン」には目もくれず「ピアノの調律師かな?」と思いつつ履歴書に「技術志望」と書きポストに投函しました。

新聞切り抜き.jpg

ところがその時技術で応募したのは偶然にも私一人だけで会社側には選択肢もなくすんなり入社できてしまったのです。私は幸運でした。社内には弦楽器が所狭しと並んでいて「あっ、そーゆーことなの?」とカルチャーショックを受けました。その日からエプロンをつけ、面倒見がよく広き心と熱き指導力の先輩に引っ張っていってもらいました。朝早く出社し、部屋の掃除、砥石の面出しと基本作業を日課とし、刃物以外の道具は先輩、同僚と共有で使い自分一人のポットやニス類、その他工具類が最低限揃ったのは入社して10年過ぎてからの事でした。
音楽にまつわる知識や演奏の学習は皆無で、只々目の前にあるオールド楽器の修理、調整の技術職に明け暮れました。薄い、薄い経験の中にも会社が定期的に入荷する競売品に数多く触れる機会に恵まれたのは貴重な経験だったと感謝しています。
また個々の作品の特徴や作者、メーカーの約束事など頭の片隅に「記憶と勘」として残ったのは楽器や弓がよき勉強材料であり職場がよき教室だったからです。
しかし途中、幾度と心が折れた時もありその度、先輩や同僚が降りてきてくれました。
自他ともに認める不器用な私は一度も技術者として自分を捉えず、いちサラリーマンとして従事してまいりました。
そんな私も40半ばに退職。やがて大阪市内に小さな店を開業致しました。
「楽器を作ればもっともっと楽器の事が判る」の先輩の教えに沿って1年に1本のペースで製作しております。相変わらずノーラベルで今回の展示会も協会員のみなさまに潜り込み目立たぬ様、配置させてもらいました。

写真A.jpg職場は大阪市内の一角を間借りして営んでいます。近くに阪神高速高架下に「末吉橋」なる橋がありみごとな石質模様があります。このスクロールがまた秀逸で石材職人のスゴ腕の成せる技なのか、あるいは形枠に石材を流し込んだ彫刻か、はたまた宇宙人謎の遺産なのかと自分ではまねの出来ない理想型に嫉妬しながらも切れない刃物と格闘している昨今です。

写真B.jpg

製作も修理も調整も基本から離れず「シンプル・イズ・ベスト」をモットーに日々、歩んでいます。
今後共 皆々様のご指導のほどよろしくお願い致します。

ご朗読ありがとうございました。

——次回は6月20日更新予定です。——

<第8回>岩井孝夫

2011-5-16 発行

関西に生まれた新しい弦楽器職人の組織

今回は関西弦楽器製作者協会がどの様な経緯で今に至っているか書いてみます。

私がイタリアの修業から帰国したのは1992年のことだった。ある日、一通の招待状が届いた。差出人を見ると弦友会ボーリング大会と書いてあった。話を聞いてみるとこれはボーリングを通じて関西の弦楽器業界のメンバーが年に2回集まり、親睦を目的に行なわれている事がわかった。これに参加したことが、私にとっては初めてのこの業界の人々との出会いであった。

会場に行ってみると当時のこのボーリング大会の平均年齢は50代半ばで結構高かったように思う。参加者は30人位で4人が1チームとなり、7~8レーンを貸切り団体戦が行なわれていた。その頃は3ゲームの合計点で争うルールだった。1ゲーム目は和気あいあいと関西人特有のオーバージェスチャーでボールを投げたり、受けを狙いながらのギャグの連発でゲームが始まる。2ゲーム目は早くもオヤジのスタミナは切れてきて、初めの騒がしさはかげりを見せてくる。3ゲーム目になるとゲームスコアは極端に下がり、参加者の半分以上が息があがり、酸欠状態になりボーリングは静寂の中で淡々と行なわれていた。
そしてゲーム終了後はボーリング場内にある中華レストランで食事会となる。そして表彰式と景品授与が行なわれる。結果的に優勝したチームが一番大変な次回の幹事になるという矛盾したルールだったが、この儀式はずっと繰り返されていた。その時いつも面白かったのは、3ゲーム目はあれだけ静かだったオヤジ連中はいつの間にかアルコールの力を借り、不死鳥のごとく生き返り大声でだじゃれ合戦となっていたことだ。私は1995年から2005年までの10年間バイオリン製作学校をやったので、その卒業生の就職を探すため進んでこのボーリング大会に参加した。そのうち就職を取り付けるのも大変になっていき、この学校は10年で閉めた。

その後、ボーリング大会に参加することも少なくなっていたが、ある時、私の30数年来の友人である藤井さん(弦楽器セレーノ)が独立してこのボーリング大会に参加したと小耳にはさんだ。ある年、久しぶりに彼に会おうと思い、私はボーリング大会に参加した。結果的にはその時、彼は不参加でその場で会うことは無かったが、私が製作学校をしていた時の卒業生(馬戸建一、古川皓一、城戸信行、馬戸崇之)の4人がそこに参加していた。
ボーリングと食事会が終わってから、その卒業生4人と私の5人でボーリング場内の喫茶店で2次会を開いた。そこで話題になったことはみんな卒業して数年が経っていたし、楽器を作る技術を身につけたがそれをどのように販売に繋げるかということだった。どうしてヨーロッパ製の楽器がよく売れ、私達の楽器は売れ行きが劣るのか、いつものように少し暗い会話になりかけていた時だった。メンバーの中の一人、城戸さんが「5人いるならひとり5万円出せば25万円集まり、それで大阪の中心地で私達の展示会をやれば私達の存在を知らない多くの人に知られる機会になる」と意見を発した。私はその時、5万円という高額な金額に対して驚いた。「5万円も出すとは売る気まんまんやなあ。それ給料の4分の1か?」と思わず言葉が出た。今でこそ彼は独立を果たし自分の店を持っているが、その当時の彼は、ある弦楽器店で職人として働いていた一社員であるゆえ、5万円は大金だろうと思った。そしてもし売れなかった時の彼の1ヶ月末を心配した。しかしその時の彼は良いものは売れるとの自信を持っていた。彼の小鼻はモンタニャーニャのチェロのふくらみのように大きくふくらみっぱなしだった。しかしそれを聞かされた私達は、彼の言葉を疑うより彼こそが真実を語っている、力を合わせ皆が一つになれば夢は叶うとその時実感した。これを踏み台として、大きく羽ばたこうと皆の気持ちがひとつになった時だった。

kokaido.jpg

その後、5人が7人になり、バイオリン製作学校卒業生の小さな組織で始まったが、門戸を開放し、志を同じくする職人であれば入会できるようにして、関西弦楽器製作者協会が設立されました。
今月の展示会では参加者が34人となり、展示楽器も70本以上になりました。そして弓も展示されます。この新しい職人の活動がより大きくなり、この関西の音楽業界に貢献できるようになりたいと思っています。
私達職人一同 みなさまのご来場をお待ちしております。

最後に私たちの展示会をあたたかく見守っていただいている後援者の方々にお礼を申し上げます。

岩井孝夫

——次回は6月5日更新予定です。——

<第7回>清水ちひろ

2011-5-5 発行

チャリティーコンサート

私は青森県八戸市生まれです。育ったのは東京ですが、毎年夏になると新幹線と特急を盛岡で乗り継いで祖父母に会いに行っていました。日中は海水浴に、夜になると叔母が車を出して港まで連れて行ってくれて煌々と海に浮かぶいくつものイカ釣り漁船を見せてくれたのを覚えています。

3月11日の震災後、沢山の人に『家族は無事か?家は大丈夫か?』『イタリアに家族が避難する時は家を提供できるから絶対言ってね。』『一週間で道路を直すなんて、さすが日本!!』と、声をかけてもらいました。自分を含め、多くのクレモナ市民が日本で起こった大地震と津波の被害をテレビで目の当たりにして『私にも何かできないのかな?』と悶々としていました。
そんな中、クレモナで活躍されているピアニストの矢澤恵子さんの発案により3月27日はクレモナ、4月3日は隣町のピアチェンツァでチャリティーコンサートが行われました。

画像 251.jpgコンサートの演奏者たち 左から発案者の矢澤恵子、L.ミッサリア、A.タニモト、D.ジョヴァノヴィック、P ,コスタンツォ、M.ワタナベ

音楽家の方々、楽器製作者の方とそのご家族、学生さん達、クレモナ市、商工会に地元新聞社など沢山の人の協力のもと無事コンサートを終える事ができました。コンサートでは普段イタリアで聞かれる機会の少ない日本の楽曲も演奏されてイタリア人の方にも大変楽しんでいただけました。私も友人と一緒に宮沢賢治の詩の朗読という形で参加させてもらいました。

画像 204.jpg朗読を担当したC.ソメンツィと私クレモナでのコンサートには市内にすむ子供からお年寄りまで多くの方が来てくださり客層の広さとその数(約400人以上)に会場を提供して下さった商工会の方達も驚き、画像 144.jpgリハーサル時のコスタンツォ、矢澤、ジョヴァノヴィックその後も募金活動をしてくださるとその場で約束してもらえました。(このアバウトな感じがとてもイタリアらしいですね。)
義援金は予想をはるかに上回る金額で日本円にして約50万円以上集まりました。商工会が集めてくださったその他の義援金と一緒に先日、日本赤十字社へ送られました。

DSC_8599.JPG     コンサート後、スタッフの皆さんと

イタリアで生活を通して気付かされる事は、日本には素晴らしい技術とそれを扱う人がいるという事です。私はそのことは注目されるべきで自国の伝統や文化に誇りを持ってよいと思うのです。こんな時だからこそ阪神淡路大震災から復興を遂げた関西から東北を日本全土を元気にしていきましょう!!
第3回展示会まであと少し。今年も沢山の方のご来場をお待ちしております。

——次回は5月20日更新予定です。——

<第6回>河辺恵一

2011-4-20 発行

弓のバランス

今回は私、河辺が弓についてお話をさせていただきます。

楽器と弓、共に長い時間の中で多くの改良が重ねられて現代に至っているのですが、弓も200年ほど前には、その殆どの作りが現在と同じ様に完成されています。 現代では当たり前の様に使える電動工具の無い時代ですから、それを思うと素晴らしいことです! まさにオールハンドメイドの時代です。

画像1 弓の材料・ヘルナンブコのコピー.jpg弓の材料・ヘルナンブコ
この角材から弓のスティックを削り出します。
弓はとてもシンプルな構成で出来上っています。 5つ程の作業でほぼバラバラになってしまいます。
スティック、フロッグ、バトン、馬毛、大まかに分けてこれだけで組み立てられています。

しかし弓の製作段階では、木材と金属や貝などの性質の異なるものに対しての細かな作業がたくさんありますので、この細かさと正確さの両面を楽しくコントロールできないと、とてもオールオリジナルの弓を作る気にはなれないかも知れません。 正直、とても面倒くさいです(笑)。

画像2 バトン仕上げ前のコピー.jpgバトン・仕上げ前
このあと8角形に削り出します。
ところで、皆さんは「弓のバランス」については、どの様に考え、お感じになっているのでしょうか?
弓によっての違いは、実際に弓を持ってお感じになったことがあると思います。

それでは、ちょっと面白い実験をしてみましょう!

① 先ず、いつもの様に弓を持ってみてください。 横にです。 まだ馬毛は弛めたままで水平に持ちます。
当然 重さを感じます。 いつもの感じです。

② 次に、右手で弓を持ったままで、左手でスクリューを回して弓の馬毛を張ってみてください。
(ちょっとやりにくいですが、) そうすると弓全体に張力が発生します。

すると、先程まで馬毛を張らずに持っていた時とは違った感覚を右手で感じられます。(おわかりになりますか?)

どの様な感じですか?

少し弓が軽くなったような感じですか?
弓先が引っ張られているような感じですか?
親指で支えている辺に重さが乗ってきたような感じですか?
重心のバランスの位置が移動した感じですか?

画像3ヘルナンブコ・削りくずのコピー.jpgヘルナンブコ・削りくずこれらは全て、馬毛が引っ張られて弓に発生している張力によるものです。
この感覚は弓によっても異なりますので、全ての弓が同じように感じられるものではありません。

画像4 ヘルナンブコ・色のコピー.jpgヘルナンブコ・色
水分を含ませると赤紫色が出ます。 草木染めの染料にもなります。
弓のバランスについては、人が指先や手の感覚で感じてゆくものなので、弓によっても、人によっても異なりますから、「こうでなければいけない」 と言うものでもありません。

使う人によっても、弓の状態によっても、弓の持ち方によっても、弾き方によっても感じ方は変わります。
重さや重心の位置と言った決まった数字で測れることだけでもないのですね。

まさに音色のように十人十色。 自分流の感じ方と使い方があって当然なのです。

改めて 「弓って不思議なものだな」 と思いませんか? 何だか とても人間的に感じます。

画像5 ヘッドコピー.jpg

あなたにとっての 「弓のバランスとは」 どの様な感じですか?
皆様からの 「自分流の弓のこだわり」 や 「弓のバランス」 についてのご意見もどうぞお寄せください。
これからの弓作りにも参考にさせて頂きたいと思います。

——次回は5月5日更新予定です。——

<第5回>猪子宏明

2011-4-5 発行

思いで

少し昔の話

昔の写真_0006.jpg住んでいた町の風景 この近くに工房がありました今から20数年前私は、旧西ドイツ南部バイエルン州の小さな町の弦楽器工房で働いていました。
シトロエンの小さな車2CVという、日本だとチャールストン、2馬力、ドイツではエンテ(あひる)と愛称で呼ばれる車を移動する足代わりに使っていました。

る日いつものように愛車を路上駐車して(ちゃんと町で許可証を取り所定場所に止めていました)家に帰って翌日、日曜だったので少し遠出でもしようと車の所に行くと、車が無い。何処を探しても見あたらない。頭の中は?マークでいっぱい、、、。で仕方なく警察へ行き受け付けの熊みたいな大男の警察官に事情を説明するのですが、なかなか通じない。今でも外国語は苦手ですがその当時も同じ、身振り手振りで何とか解ってもらえて車種やナンバーなどを言って盗難届けを書きかけた時、「巡回中のパトカーから発見の連絡が入った。」と言われ、一安心。取りに行こうと場所を聞くと、パトカーが直ぐ帰ってくるから待っていなさいとのこと。


パトカー.jpgドイツのパトカーBMWでした五分ほどでパトカーは帰って来て、送って行くから乗りなさいと言われ、生まれて初めてパトカーに、それもドイツで、乗せていただきました。直ぐに車の所に付いたのですが お巡りさんの説明が良く解らない。「この車は盗まれたのではない、あなたが止めた場所から此処に移動しただけだ。多分酔っぱらいがいたずらに乗ったのだろう。」とのこと、「エッエッそれで終わり?!!」まあ良いかとドア開けると、エンジンをかけるキィーの所が壊され線が剥きだし、どうしようと思案していると、何とお巡りさんが「この線とこの線をつなぎそしてこの線をつなぐとエンジンが掛かるからそしたら直ぐにこの線をはずせ! エンジンを切るときは最初の線もはずせ」と自動車泥棒のテクニックのような説明を受け、何とも感心しながら翌日修理工場に持っていき直してもらいました。

昔の写真_0003.jpg愛車 エンテ スイスにて

この愛車のエンテは排気量600CC空冷2気筒の非力な車でしたが愛好家が沢山いてエンテ同士が道ですれ違うとき、お互いフロントガラスに手を当てて挨拶するのが慣わしでした。
この車でドイツの国内はもちろんオーストリアを越えアルプスの2000メートル級の峠を幾度と無く越えて私をベニス、クレモナ、ミラノ、ボローニャ、などに何度も連れて行ってくれたのです。それからスイスのマッターホルンを見に行った時も一緒でした。。
色々思い出深い車でしたが、中古で古かったのと、ドイツの冬は、雪で凍った路面に滑り止めの為に砂と塩をまくので床に大きな穴が空いてしまい、日本に帰る少し前に泣く泣く廃車にしたのです。 

         沢山の思い出をありがとうエンテ。    

昔の写真_0001.jpg若い頃の私です。

——次回は4月20日更新予定です。——

<第4回>やち陽子

2011-3-20 発行

ヴァイオリンの奇跡

驚きました、60個!!
何の数だと思われますか?なんと、なんとヴァイオリンのパーツの数なのです。
みなさん、こんにちは!今回コラムを担当します、やち 陽子です。
私達が、切磋琢磨して製作しているヴァイオリン、いったい幾つのパーツから出来ているのでしょうか?今回、パーツの数を数えてみたいと思います。以下、数は《 》に記載します。

まず、普段は目にすることがない、ヴァイオリンの内側を見てみましょう。
写真①をご覧下さい。ブロックが上下と左側コーナーに2つ、右側コーナーに2つ《 6 》あります。その上に鉄ごてで曲げた横板《 6 》がブロックとブロックの間に接着されます。そして横板の内側上下をライニング(細い1cm幅の帯)《 12 》が横板一枚につき2本で補強しています。

写真1.jpg写真①

表板《 2 》と裏板《 2 》はそれぞれ一枚板を使う場合もありますが、通常2枚の板の面を張り合わせます。表板は針葉樹のスプルース、裏板は広葉樹のカエデを使用します。
写真②をご覧下さい。表板の内側にバスバー(または力木)《 1 》が接着されます。これは表板と同じスプルース材を使います。

写真2.jpg写真②

そして、表板の振動を裏板に伝える重要な働きをする魂柱《 1 》が立っています。こちらも表板と同じ材料です。これでヴァイオリンの内側のパーツはすべて数えました。ただいま30パーツです。
 次にヴァイオリンの外側を見てみましょう。写真③をご覧下さい。
楽器の周りを縁取っている黒い線はパフリングというもので、輪郭に沿って溝を掘り、表・裏板ともに6本ずつ、黒白黒と3枚の薄板を張り合わせたものを埋め込みます《 12 》これは装飾的な役割と板の割れを防ぐ働きをしています。

写真3.jpg写真③

次に写真④をご覧下さい。渦巻きが愛らしいネック《 1 》これは、裏板と同じ材料を使用します。そしてペグ(または糸巻き)《 4 》、黒檀で作られた指板の上のナット(または上駒)《 1 》と指板《 1 》があります。
写真4.jpg写真④順に下に降りてくると、駒《 1 》があり、テルピース《 1 》そしてヴァイオリンでしたら、E線にアジャスター《 1 》がついていますね。
テルピースの下からは、テールガット《 1 》がナット(または下駒)《 1 》をまたいでボタン《 1 》で止まっています。そしてアゴ当て《 1 》があります。あとは弦《 4 》を張ったら出来上がりです。
どうでしたか?60個ものパーツが創意工夫されヴァイオリンの哀愁をおびた魅力的な音を作りだしているのです。

——次回は4月5日更新予定です。——

<第3回>畑亮一

2011-3-5 発行

原体験

子供の頃は音楽の授業があまり好きではなかった。学校で教わる楽典の基礎など全然面白くなかったし一体それのどこが「音楽」なのか分からなかった。ただ、合唱やリコーダーなどの器楽演奏は好きだったので「音楽」そのものが嫌いではなかったようだ。


そんな「音楽」と縁遠かった僕が生まれて初めて「バイオリン」と出会ったのが確か中学3年の頃だったと思う。ボーイスカウトの先輩の家で彼が見せてくれたバイオリンをなんとなく不思議な物のように眺めていたのだけれど、弓を見たときのことは今でもはっきりと覚えている。
その先輩が張ってある弓のねじを緩めてフロッグ(黒い持ち手の部分)を外して見せてくれたときには衝撃だった。写真1.JPG弓には馬の尻尾の毛を張るバラバラなのだ。何が?って、それまではおぼろげに、そこには例えば「かんぴょう」のような白い平たい物がついていると思っていたところがなんと無数の細い白い毛が集まっていたからだ。なんとも世の中には不思議なものがあるのだなあと感心したのを今でも思い出す。


そんな記憶もあったからだろうか、大学に進学した時なぜか同じ下宿の学部の先輩に質流れの安物バイオリンをもらったのでそれを持ってなんとなく大学オーケストラに入団、再びバイオリンと出会うことになる。
入団当初は「今からバイオリンを始める初心者がそんな弾けるようになるわけないんだから、在学中に一回ステージに乗れればいいほうかな?」くらいに思ってたのだが、バイオリン持ち始めて半年後には初めてステージの上で演奏会というものを経験。それからというもの大学の講義もそっちのけで部室に直行し大学オケ漬けの日々を送り、バイオリンと音楽に嵌りまくった大学生活となった。そうなると現金なもので、子供の頃に学校では見向きもしなかった「楽典」も必要に迫られ何冊か本を買って自分で勉強したりした。


ただ貰い物のバイオリンはいかにも安物で、「カーカー」と情けない音しか出なかったし弾いてると指板(指を置く黒い部分)の染めが落ちて指が黒くなったりした。これではいくら練習をやっても全く面白くないしなんだかちっとも上達していないような気がする。悩みに悩んだ挙句、一念発起してバイオリンと弓を初心者の学生が持つものとしてはかなり良いものに買い換えた。


楽器が新しくなったとたん、ただのボーイングの練習がもうすごく楽しくて「音楽やってる!」写真2.JPGいろんな思い出が詰まった大学時代のバイオリン。しっかり調整して今でも現役。って気分になる。いままで半ば義務的にやっていた音階の練習もなんだかすごくフレッシュに感じたし、実際その頃から上達が早くなったようだ。その当時一年上のバイオリンの先輩に「おまえ上達したなあ」と褒められた嬉しさは今でも覚えている。


あの時の、突然世界が開けたような楽しさは今思えば僕の仕事の原点になっている。弦楽器制作・修理の仕事に就いて20年以上経った今でも、楽器に弦を張り弓を当てる瞬間は、それが修理に来たお客さんのものだろうが自分の制作したものだろうが、なんとも言えないワクワクした感じを覚える。このワクワク感が僕の仕事の原点だ。


そういえばこんなこともあった。バイオリンを新しくしたのはいいが移弦がどうも上手くいかない。弾いているときにとなりの弦に弓が触れてしまうのだ。そのころ自分は移弦が下手なのだと思いこんでいたが、この仕事に就くようになってからあらためて写真3.JPGバイオリンの駒。こんな小さな部品が意外と大切。自分の楽器を観ると駒の上部の丸みが普通よりもフラットなのがすぐに分かった。要するに自分の演奏の癖だとばかり思っていたことが、ちょっと楽器の調整をすることで簡単に解消出来るということが解ったのだ。
「な~んだ、そうだったのか!」目からうろこである。


些細なことだけれどこの時の経験が、「お客さまには、出来る限りいいコンディションで余計な苦労をせずに演奏を楽しんでもらいたい。」という今の僕の工房の修理・調整のスタンスの原点になっている。そして僕自身がそう感じたように、バイオリンを通じて人に充実感や幸福感を味わってもらいたいという思いは今でも持ち続けている。


今あらためて思いだせば、本当にいろいろな縁や巡り会わせでここまで来られたように思う。それらを全てここに書き記せばとてもスペースが足らないが、最後にひとつだけ・・・。
最初にバイオリンと僕を出会わせてくれた先輩とはその後どうなったのか・・?
・・・なんと最近30数年ぶりに再会を果たし、今或るアマオケで一緒にビオラを弾いている。
縁に感謝である。


——次回は3月20日更新予定です。——

<第2回>馬戸建一

2011-2-20 発行

言語/Language/Lingua

「ダーリンは外国人」って知ってます?私はまだ見てないんですがね。うちの奥さん、日本語も英語も3ヶ国語使えるイタリア人なんです。ボローニャ/Bologna出身の在日7年目。出会ったのは5年前だったか、日本に来て2年ちょいの彼女の日本語力にびっくりしたのを覚えています。「普段は何語で会話してるの?」なんてよく聞かれるんですが、普段の夫婦間の会話はほとんど日本語で当然私のイタリア語は少しずつの成長であります。。
ま、その辺はおいといて、、、。
英語の「ダーリン/Darling」って男の人のことだとずっと思っていたんですが、男女間で使う言葉だったんですね。ちなみにイタリア語では「Caro・Cara(カーロ・カーラ)/Tesoro(テゾーロ)」って使うんですね。意味は「宝物」みたいな感じかな。ってなことを辞書なしに知ることができるのは特権です。
散歩のときなど日本のお店などの看板をみては可笑しな英語やイタリア語を教えてくれます。どうも日本語英語ってのもたくさんあるみたいで。そんな間違い探しもあり、文化の違いを教えあったり、それなりに楽しんでいます。

DSC_0163.JPGそんなこんないろいろありまして子どもが出来ました。
琢充(たくみ)はもうすぐ2歳です。彼はまだ言葉少な目ですが、イタリア語・日本語を少しずつ喋るんです。バイリンガルにするには父親が日本語!母親がイタリア語!家族の会話は日本語!!ってきっちり分けた方が良いんですって。難しいですけどね。
年末年始彼らはイタリアで過ごしたんですが、帰ってからの彼の“引き出し”が増えたことに驚きました。「あぷりあぷり」「めーらめーら」「ぴぴ」「かっか」などなど。むこうのおばあちゃんに教育を受けたのか、同年代の従兄妹に揉まれたのか、ほんと成長の速さにもびっくりしています。
ちなみに「あぷり」開けてってこと。「めーら」リンゴのこと。「ぴぴ」※※「かっか」※※ここでは言えません。
DSC_0060.JPGもちろん日本語も「じいちゃん」「ばあちゃん」「わんわん」・・「あっち」・・「あか」「あお」「きいろ」などなど。最近気になるのは「いっぱい」などの「・・・」って関西弁。
これは仕方ないですね。関西弁でなかった奥さんにもうつってきてますから。

子どもを見てるとふと。
覚えたことを何回も繰り返し、間違っていてもお構いなしで、挙句の果てに「ん」とジェスチャーだけで思いを伝えてきます。聞き手の私どもも理解してやろうと必死に彼のことを思い考え努力します。
長い時間一緒にいて、相手のことを知り、知ってもらえれば、彼のようにわずかな単語と「ん」だけで海外暮らしスタート出来るんではないかと思うんですが、甘いか。

DSC_0448.JPG

——次回は3月5日更新予定です。——

<第1回>鈴木郁子

2011-2-5 発行

アベーテ ロッソの森へ

 1月にイタリアに行って参りました。いつもはMONDO MUSICA(毎年クレモナで開催される弦楽器の見本市)の開催される10月上旬に訪れますので、私としては久しぶりの真冬のイタリアでした。霧に包まれるクレモナの街はとても懐かしく、様々な想いが交差しました。

photo1.jpg懐かしの霧に包まれるクレモナの街

 今回はクレモナだけに留まらず、バイオリンの表板の材料アベーテ・ロッソ(abete rosso:スプルース、オウシュウトウヒ、ドイツトウヒなどとも呼ばれる針葉樹のイタリア語名)の育つ地域北イタリア(ドロミーテ渓谷)まで足をのばしてみました。クレモナから汽車で3時間強、ほぼ時間通り(10分遅れ)でトレントの街に着きました。photo2.jpg弦楽器の表板となるアベーテ・ロッソの森私がクレモナに住んでいた20年程前を考えたら驚くほど時間通りです! EU統合の恩恵なのか?たまたま運が良かったのか?はわかりません。今まで何回もトレントという駅を通っていたけど滞在するのは初めてだということ、とても有名な地名だけどなんとなく汽車の乗り継ぎでのみ利用していたことに気づきました。駅には弦楽器製作家 マエストロ ルカ プリモン(Maestro Luca PRIMON)が迎えにきてくださいました。一ヶ月前に連絡を取り合っていたときには“雪深いから準備をしっかりしていらしてください。”とアドバイスを頂いていましたが街は平穏、霧に包まれたクレモナよりも湿度が低いためか温かく過ごし易いように思えました。マエストロ プリモン夫妻がとても美味しいトレントの有名伝統料理のレストランにご招待してくださりました。イタリア各地の伝統料理はどれも美味しい!!と再確認できたひとときでした。

photo3.jpg樹の健康状態、森の害虫について語るマエストロ ルカ プ リモン 次の日は弦楽器の“表板の森”に行って参りました。今年は例年に比べ雪が少ないとのことですが、東京生まれ育ちの私にとっては充分雪深い森のなか、樹々、森、そこに共存するすべての命のレクチャーを受けながらの時間は至福の時でした。マエストロ プリモンは歩きながら“あの樹はすばらしい!” “あれはチェロに良さそうだ!!”とこれからの伐採の計画を練っているようでうらやましい限りでした。既に切られて山積みにされている丸太を見ながらも真剣そのもので、私自身も材料選びの時に、もう一歩踏み込めたら(山の中へ?)違う世界が広がるのではないかと思った次第です。photo4.jpgアベーテ・ロッソの球果 黒い一粒一粒が種子もちろん今回の雪山での経験もマエストロ ルカ プリモンのご配慮があったからこそ出来たことで自分一人では何もできなかったと思います。そう言う意味で人と人とのつながりの大切さを体感する旅でもありました。大自然の中におかれると自分の小ささを痛感します。


photo6.jpg鹿さん!!!               森林の中で鹿さんの足跡を教えてもらい感激、鹿さんの糞をみつけ感動、最後に鹿さんに会えて感謝いたしました。自然の大きさと優しさに包まれた一日でした。


 雪山の中、自分が使わせて頂いている表板がどのような状態なのだろう?と思っての小旅行でしたが、製作者同士の話はとても深まり、理論的にも技術的にも刺激を受け、私自身いろいろと再考しなくてはならない課題を見つける旅になりました。

鈴木郁子

photo7.jpgアベーテ・ロッソの球果、現在製作中のヴィオラ、そしてごろさん。このヴィオラは5月の展示会に出展予定です。


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